2016年5月1日日曜日

ヨハネによる福音書8:31-38「自分の分別に頼らず」

 ゴールデンウィークの日々を過ごしております。休日の自由を満喫したくなる日々です。普段、なかなかできない自分のしたいことをする期待の日々であります。しかし、本日の主イエスの言葉は、私たちの考える自由とは全く別の角度から、自由について語りだしています。「真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ8:32)と言われています。どういうことなのか。
 この言葉にユダヤ人たちは反発を覚えました。私たちもまた覚えます。どのような自由を主イエスは言われていたのでしょうか?私たちは自由ではないのでしょうか?主イエスは「罪を犯す者は罪の奴隷だ」ときっぱりと言われます。罪の報酬は死です。聖書全体の文脈で言うと、人が死ぬ理由は罪にある、と言うのです。私たちはこのことを忘れがちになっているのではないでしょうか。病気、事故、災害。さまざまな理由で人は死にます。「人が罪のために死ぬ」ということは、誰も口にはできません。しかし、主イエスは「罪のために人は死ぬ」と言うのです。逆に言えば、創造の時の罪のない人間は死ななかったのです。罪のない人間は死なない、というのが本来の常識であります。
 ですから、主イエスの言われた自由とは、どうやら人の生死を問題にするのでしょう。主イエスは「死があなたの敵ではなくなるのだ」と告げます。復活の命を与えてくださるからです。主イエスに従ったペトロもパウロも、復活の意味を知れば知るほど、この世の目からすれば不自由な生き方になっていきます。牢に入れられ、最後は殉教をいたします。しかし、それが彼らの中では大きな問題ではなくなったのです。私たちもまた、主イエスの救いに預かる者であります。その意味するところは、死があなたの敵ではない、ということです。
 主イエスは「わたしの言葉にとどまるなら、本当にあなたたちはわたしの弟子である」と言われました。私たちは常にさまざまな常識にさらされ、あるいは常識をもって生きています。しかし、それが主イエスの言葉を聞く妨げになることも事実です。箴言では、「自分の分別に頼るな」と言っています。私たちは常に主の言葉を聞き続ける必要があるのです。常に主の言葉を聞き続け、自分の理解を更新していくのです。それは、神への信頼を養うためであります。神に信頼すること、これが最重要事項です。

 私たちの歩むすべてにおいて主なる神を認めることが、私たちを生かします。すべての出来事に、主を認めることができるのです。それこそが、平安の内に生きる術であるのでしょう。今週も神の言葉を聞きつつ、歩むことができますように。

2024年4月19日の聖句

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