2019年1月14日月曜日

2019年1月14日(創世記25〜26)

今日の通読箇所:マタイによる福音書11、創世記25~26、詩編18

創世記25~26;
アブラハムが死に、その息子イサクの物語に移っていきます。その最初のところで何度も繰り返されているのは、イサクの周りにたくさんの争いがあったということです。
妻リベカの胎で、双子の息子たちが争っていました。今であれば、もしも双子を妊娠していれば、すぐにそれと分かります。しかし、そういう医療技術がない時代であれば、当然、生まれるまで分からない。あまりに異常な胎動に、母は恐ろしかったのでしょう。「こんなことでは、一体私はどうなるのでしょう」と言って、主に祈りました。
やがて飢饉があり、イサクと家族はゲラルに移住します。そこはアビメレクというペリシテ人の王が治める土地でした。ここで彼は父と同じ過ちを犯します。我が身を守るために、妻を妹と偽りました。美しい妻を我が物とするために、この土地の男たちに殺されるかもしれないと心配になったからです。この出来事は、イサクにとっての大きな失敗でした。それでも彼はその土地で次第に裕福になります。ペリシテ人たちの妬みを買いました。すると、井戸の所有権を巡って争いが起きます。井戸は貴重なライフラインですから、その争いは熾烈でした。やがて、イサクはペリシテの地を出て行きます。
イサクの周りには、いつも争いがあったように思います。自分がまいた種でもありましたが、争いに巻き込まれたこともありました。イサク自身、特に立派な人物という訳ではなかったと思います。しかし、神様は彼に誠実を尽くしてくださいました。「私はあなたの父アブラハムの神である。恐れることはない。私はあなたと共にいる。僕アブラハムのゆえに、私はあなたを祝福し、あなたの子孫を増やす。(26:24)」この神の祝福の宣言が、イサクにとってどんな意味を持ったのでしょう。争いの中で生きながら、なお私を祝福していてくださる神は、イサクのただ一つの平和だったのではないでしょうか。
私たちの争いのただ中に、神の平和は宿ります。神の祝福は、私たちの周囲の状況がどのようなものであったとしても、決して変わってしまうことがありません。そのことを信じて、今日の日を神様に献げていきましょう。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...