2019年1月16日水曜日

2019年1月16日(創世記28〜29)

今日の通読箇所:マタイによる福音12:22-50、創世記28-29、詩編20

創世記28~29;
ヤコブは眠りから覚めて言った。「本当に、主がこの場所におられるのに、私はそれを知らなかった。」そして怖くなって言った。「この場所はなんと恐ろしい所だろう。ここはまさに神の家ではないか。ここは天の門だ。」(28:16~17)

ヤコブが主なる神様と出会ったのは、ヤコブにとっては最悪の時でした。兄と父を騙して兄の激しい怒りを買い、もう家にいられなくなり、母リベカの実家へ旅をしました。父からは、リベカの実家で妻を探すようにと言われます。その旅の途上で、石を枕に夜を明かします。そこで、天に伸びる階段の夢を見ました。神が、共にいてくださることを彼は知ったのです。
冒頭の御言葉は、その時のヤコブの言葉です。ヤコブは神が共にいてくださることを知ったとき、怖くなりました。その場所を恐ろしく思いました。神様が共にいてくださるというのは、実は恐ろしいことなのです。
それまでのヤコブは神をも恐れぬ傍若無人な振る舞いをしてきました。長子の権利を奪ったり、祝福をだまし取ったり。神様がしてくださることを自分の力で獲得しようとしてきました。この後も、やはりヤコブはリベカの実家で叔父を相手に抜け目なく生きていきます。しかし、そんなヤコブでしたが、このとき出会った神にしがみつき、すがりついて生きることだけは曲げませんでした。神の臨在に触れることは恐ろしく、そして、恵み深い出来事なのです。

2024年4月25日の聖句

救いは主のもの。 あなたの民の上に祝福を。(詩編3:9) イエスは手を上げて彼らを祝福された。(ルカ24:50) 主イエス・キリストは復活して40日間弟子たちと共におられ、その後、天に昇って行かれました。その時、主イエスは手を上げて弟子たちを祝福し、その恰好のままで天に上げられて...