2019年2月27日水曜日

2019年2月27日(レビ記13)

今日の通読箇所:ローマの信徒への手紙15、レビ記13、詩編68

レビ記13;
新しく刊行された聖書協会共同訳で大きく訳文が変わった所です。「重い皮膚病」と翻訳されていた言葉が「規定の病」になりました。規定の病について、巻末の解説でこのように言っています。この言葉が「人について用いられている場合には、何らかの皮膚の疾患をさすが、病理学的にはいかなる病気であったか明瞭ではない。」昔の翻訳では「らい病」と訳しており、これは明確に誤訳でした。さらに日本社会のライ差別に加担してしまったという経緯もあります。今回の翻訳では、丁寧な議論をした末に「規定の病」という訳語を採用したということでしょう。私たちもこの言葉に慣れたいと願います。
それにしても、ここでの規定の病に関する記述はとても厳しい。この病にかかった者に「汚れている」と言い渡し、その人は「衣服を引き裂き、髪を垂らさなければならない。また口ひげを覆って、『汚れている、汚れている』と叫ばなければならない(45節)」と定めています。あまりのことに驚いてしまいます。
昨日も書きましたが、レビ記は創世記第1章と深い関わりがあります。創世記第1章の創造は、混沌の秩序化でした。人間の規定の病は人間の内面と外界との境である皮膚が弱る病です。おそらく、規定の病は秩序づけられた人間存在が混沌に帰ってしまう、と見なされていたのだろうと思います。それで、恐れられていました。
しかし、主イエス様にとっては、それは恐ろしい病ではなかったのです。「さて、規定の病を患っている人が、イエスのところに来て、ひざまずいて願い、『お望みならば、私を清くすることがおできになります』と言った。イエスは深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『私は望む、清くなれ』と言われると、たちまち規定の病は去り、その人は清くなった。(マルコ1:40-42)」。主イエスは、まさに神がこの天と地とを造り、私たちを造られた祝福の手を私たちに向けて伸ばしてくださいます。病への無知のために人々に恐れられ、誰も手で触れてくれなかったとしても、キリストの手はまっすぐに伸ばされているのです。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...