2019年3月23日土曜日

2019年3月23日(民数記33〜34)

今日の通読箇所:マルコによる福音書5:1~20、民数記33~34、詩編96~97

民数記33~34;
今日の御言葉には、たくさんの地名が登場しました。地図を出しても、一つひとつたどれないほどにたくさんです。
第33章では、エジプトを出てからこれまでの旅程です。最初の旅立ちは、もう40年も前のことです。その年の第一の月の15日にラメセスを出ました。主なる神様の大いなる御業を頂いて、エジプトから「意気揚々と(3節)」出たのです。この旅の中では、「海の中を通って荒れ野に入(8節)」るという、特別な道もありました。あるいは、自分たちの指導をしてくれたアロンの死も、旅の間に経験しました。「祭司アロンは、主の言葉に従ってホル山に登り、そこで死んだ(38節)」。今、ヨルダン川の東岸、モアブの平野まで来ました。そういう場所まで来て、これまでの旅路を振り返っているのです。一つひとつの地名に刻まれた歴史があり、記憶がある。言うなれば、彼らの40年記念誌の一ページのようなものです。神の恵みの業があり、神に従い、信じ、礼拝してきた神の民がおり、あるいは背き、罪を犯したことがあり、それでもなお神は私たちを生かしてくださって、今日ここに私たちはいる。約束の地を前にして、そういう歴史を思い起こしているのです。
そして第34章は、これからの事です。いざ約束の地に入ったとき、その土地をどのように分配するのかということを記しています。それぞれどのように相続地を受けるのか、どうやってキチンと分け与えるのか。そのようなことを丁寧に定めています。この章は、これからの展望を伝えています。神の約束に生きる民の進むべき道を定めているのです。
神を信じる者は、このように、神の恵みに手を取って連れてこられた過去と、神の約束を信じて進んでいく将来の間に立つ現在を生きています。私たちが、今、神様の御前で思い起こす過去はいかなるものか。神様の約束を信じて描く将来はどのようなものか。そこには必ず神の憐れみと恵みがあり、私たちの罪をも赦し、将来に向かわせてくださる望みがあるのです。ちょうど、洗礼によって罪の私が死に、キリストの復活の命にあずかる新しい創造が約束されているのと同じです。
主イエス・キリストの恵みが、今日もあなたにありますように。

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...