2019年12月25日水曜日

2019年12月25日(ゼカリヤ書1〜3)

今日の通読箇所:ルカによる福音書2:21~、ゼカリヤ書1~3

ゼカリヤ書1~3;
預言者ゼカリヤはペルシアのダレイオス王の治世第二年に活動を始めました。前520年のことです。ハガイと同時代の預言者です。
「主はあなたがたの先祖に対して激しく怒られた。彼らに言いなさい。万軍の主はこう言われる。私に立ち帰れーー万軍の主の仰せ。そうすれば、私もあなたがたのもとにかえるーー万軍の主は言われる」(1:2~3)。ここだけではなく、この段落には「立ち帰る」という言葉が何度も繰り返されています。この言葉は、文字通りに、空間的な意味で「帰る」という意味でも使います。時代を考えると、人々は故国へ帰って神殿を再建するという思わぬ使命を与えられましたから、そういう意味もあると思います。しかし、この言葉は思いや生き方を方向転換して、神のもとへ「戻る」という意味にも使います。ここでは両方の意味があるのかも知れません。
ゼカリヤは、さらに、神の民が神のもとへ帰って仕える神殿再建の業の少し不思議な面を語ります。「走って行って、あの若者に言いなさい。『エルサレムは多くの人と家畜が住む城壁のない町となる。私自身がそれを取り囲む城壁となるーー主の仰せ。私はその中で栄光となる』」(2:8~9)。この神殿のためにエルサレムには城壁を作るな、と命じています。城壁がないと、率直に言って危険です。敵がいつ攻めてくるか分からない。事実、神殿再建は何度も敵の妨害に遭って遅々として進みませんでした。ところが、神は城壁を作るなと言われます。なぜか。主ご自身が「それを取り囲む城壁となる」からです。神様が城壁になって、囲んで、守ってくださる。だから、他の壁は必要ありません。
そして、この城壁のない神殿には、「多くの人と家畜が住む」ことになります。壁がなければ、望む者は誰でも入れます。羊飼いでも、東方の占い師でも!誰にも開かれている。そして、壁がないので、どんなにたくさん集まっても大丈夫です。どんなに多くの者が来ても、ここで神を礼拝することができる。預言者ゼカリヤは、そういう神の民の新しい礼拝の幻を見たのです。

2024年4月19日の聖句

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