2020年4月20日月曜日

2020年4月20日(エフェソの信徒への手紙1)

エフェソの信徒への手紙1
「私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、あなたがたに知恵と啓示の霊を与えてくださいますように。そして、あなたがたが神を深く知ることができ、心の目が照らされ、神の招きによる希望がどのようなものなのか、聖なる者たちの受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか、また、私たち信じる者に力強く働く神の力が、どれほど大きなものかを悟ることができますように。」
このエフェソの信徒への手紙は獄中書簡と呼ばれるパウロの手紙の一つです。パウロが牢獄に捕らわれていたときに書かれました。レンブラントが「獄中のパウロ」というすばらしい絵を描いています。私の本当に大好きな絵です。年老いたパウロが小さな窓から差す光に照らされています。牢獄の中の粗末なベッドに腰掛けて、思案顔でペンを持ち、手紙を書いている。脇には剣が置いてあります。獄中に剣というと不思議ですが、この手紙に出て来る「霊の剣、すなわち神の言葉(6:17)」の象徴でしょう。従って、レンブラントはエフェソの信徒への手紙を書いているパウロを描いたのではないかと私は思います。
これは獄中にいた男の書いた手紙です。牢獄の中から、彼は言います。神があなたがたに啓示の霊を与え、心の目が照らされて、神の招きの希望を悟らせてくださるように、と。神が私たち信じる者に働いてくださる力の大きさを知ることができるように、と。言いようによってはパウロ自身がそれを見失っても少しもおかしくないような状況です。しかし、彼は獄中に差す光に照らされながら、自分は神の光に照らされていることを信じ、望みを抱き続けていました。
神様は、私たちを「イエス・キリストによってご自分の子にしようと」定め、私たちのためにイエスの血を流してくださいました。「聖なる者たちが受け継ぐものがどれほど豊かな栄光に輝いているか」というのは、その事実のことを言っているのでしょう。神様は、私たちをご自分の子にしてくださいます。私たちにどんな災いが降りかかってきても、その事実は変わりません。
私たち教会にあるのは、イエス・キリストの言葉だけです。この危機の時を迎えて、いろいろなところで教会の本質は何かというようなことが問われているようです。私は、それは神の言葉という剣だと思っています。御言葉によって教会にはキリストが満ち満ちています。私たちはこの方を礼拝します。神の子として。私たちは弱くても強く、苦しんでいても喜び、貧しくても豊かです。キリストにあって、神の子にしていただいたからです。

2024年4月20日の聖句

私は必ずあなたを助け出す。剣に倒れることはない。あなたの命はあなたの戦利品となる。あなたが私を信頼したからであるーー主の仰せ。(エレミヤ39:18) イエスはその犯罪人に、「よく言っておくが、あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と言われた。(ルカ23:43) 主イエスが十字架の上で...