2022年8月12日金曜日

2022年8月12日の聖句

主は抑圧されている者たちに「法」をもたらし
飢えているものに食事を与える。(詩編146:7)
それから七つのパンを取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、配るようにと弟子たちにお与えになった。弟子たちはそれを群衆に配った。(マルコ8:6)

主は抑圧されている者たちに法をもたらす、と書かれています。この「法」と翻訳された言葉は「ミシュパート」という単語です。とても大切な言葉で、裁きや正義などの意味があります。抑圧されているもののために、主ご自身が裁きを行い、正義を貫いてくださる。この言葉を読むと、抑圧されているものをそのままに放っておくことは主の正義にもとるという強い思いを感じます。
現代社会の「法」は、必ずしも抑圧されているものを自由にするために働くとは限りません。むしろ、多数者に都合の好いようにできていることが多い。少数者や弱者の権利を守る場面ももちろんあるのでしょうが、そうではない現実が幅をきかせているのではないでしょうか。少し前に大問題になった入管行政のことも、その一つだと思います。しかしそれでいいのか、と聖書は私たちに問うているのです。
抑圧されているものと並んでここで指摘されているのは、飢えている者たちです。この人たちのために、主なる神さまは食事を与えてくださる。主イエス御自身がそのことを大切になさいました。「それから七つのパンを取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、配るようにと弟子たちにお与えになった。弟子たちはそれを群衆に配った。」この出来事は、どういう場所で起こったのか?少し前を見ると「イエスはティルス地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖に来られた」と書いてあります。聖書の後ろに地図があるので確かめてみると、イスラエルの北の外れからヨルダン川の向こう側のかなり広い地域を歩いておられたことが分かる。そして、それらはどこも異邦人の地です。恐らく、七つのパンを分けた奇跡は異邦の地でなされました。主イエスは飢えた異邦人をご覧になって、憐れみに心を動かされて彼らを養ったのです。
この憐れみや愛の御心こそが、主イエスさまのミシュパート、正義であり裁きであり、法です。主イエス・キリストのこの御心が私たちを今日も生かすし、私たちの進むべき道を照らしているのです。

2024年4月19日の聖句

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