2021年3月7日日曜日

2021年3月7日(詩編76)

詩編76
神はユダに知られ
その名はイスラエルで偉大である。
その隠れ家はサレムにあり
住まいはシオンにある。
そこで、神は弓の火矢を砕き
盾と剣と戦いを砕かれた。(2~4節)

この詩編は10節に登場する「地の苦しむ人」の祈りを神は聞き、彼らを救ってくださると言って神を賛美する詩編です。ただし、この詩編の祈りが捧げられているその時点では、まだその救いは実現していないのだと思います。まだ闘いのさなかにあって、むしろ敵の脅威は大きいのでしょう。だからこそ、神に救いを求め、そして神がもたらす勝利を信じているのです。
神の隠れ家はサレムにあると言っています。サレムというのはエルサレムの昔の呼び名です。この言葉には「平和」という意味があります。だからこそ、神はサレム(平和)と呼ばれる場所におられると言っているのでしょう。サレムにおられる方は、弓の火矢を砕き、盾と剣と戦いを砕かれる。そのように言います。武器を打ち砕いて平和を生み出す。神はそういうお方だと言っています。
今、ミャンマーでは軍隊が市民に銃口を向け、実際に発砲し、殺される人が何人もいると聞いています。本当に恐ろしいことです。平和を求める私たちの祈りが終わることはありません。なぜ、平和が実現されないのか?
今こそ、私たちが知らなければならないことがあるのだと思います。8節にこのようにあります。

あなたこそ、あなたこそ恐るべき方。
怒りを発せられるとき
誰がその前に立ちえようか。

このような平和が実現しない私たちの現実をいちばん悲しみ、怒り、耐えがたい思いでいるのは、神様ご自身です。暴力がやまない世界の現実は、他ならない私たちの罪が生み出している現実です。それは神さまにとって受け入れがたいものであるに違いありません。私たちはこの世界の現実についても、神さまの前に真摯に罪を悔い改めたいと願います。神さま、どうか私たちを憐れんでください、と祈ります。

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