2021年11月6日土曜日

2021年11月6日の聖句

私が「足がよろけています」と言ったなら、支えてください、主よ、恵みによって。(詩編94:18)
イエスはペテロに言われた。「あなたの信仰がなくならないようにとあなたのために祈った。」(ルカ22:32)

「足がよろけています」とパッと聞くと、あまり自分には過失のない失敗だとか、仕方のないことで支えが必要な状態、というような印象を受けます。つまり、あまり深刻ではないかと。しかし今日私たちに与えられている旧約と新約の御言葉を併せて読むと、印象がまったく違うものになります。
「あなたの信仰がなくならないようにとあなたのために祈った」と主イエスはペトロにおっしゃいました。これは、最後の晩餐と呼ばれる食卓での会話です。主イエスは、ペトロがこの後、鶏が鳴くまでの間に三度も繰り返してイエスを知らないと言うと予告なさいました。そのために、ペトロは信仰を失ってしまうような危機に陥る。実際、その通りになりました。しかし、そんなペトロの信仰がなくならないようにと主イエスがペトロのために祈ってくださるのです。
「足がよろけてしまいます」、これは少なくともペトロにとっては、ちょっと失敗してしまったとか、不可抗力だったとか、たいしたことない失敗だとか、そういうことではありませんでした。イエスを知らないと言ったのです。イエスを見捨てたのです。愛するイエスを裏切ったのです。信仰も何もない。ところがそんなペトロのために、イエス御自身が祈ってくださいました。「あなたの信仰がなくならないようにとあなたのために祈った。」
私たちは、神さまにまったく顔向けできない失敗を繰り返します。申し訳なくて顔を上げられないことがたくさんあります。それなのに、始末の悪いことにそれを忘れて、自分の失敗をあげつらって人を責めるようなことまでしてしまいます。ところがキリストは無限の赦しです。限りない愛です。私たちがどんなに足がよろけ、キリストを裏切り、捨てたとしても、この方は私たちを捨てません。私たちを恵みによって支えてくださいます。
私たちがに本当に必要なのは、この愛です。キリストの限りなく、途方もない赦しがないと、私たちは生きられないのです。あなたのために、今日もキリストは祈っています。限りない恵みが、キリストからあふれています。

2024年4月29日の聖句

主は正しい。私は主の口に逆らった。(哀歌1:18) ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言った。兄は「いやです」と答えたが、後で考え直して出かけた。(マタイ21:28~29) 今日の新約の御言葉は、主イエスの譬え話です。二人...