2022年7月4日月曜日

2022年7月4日の聖句

これらはすべて私の手が造ったもの
これらはすべて私のものであるーー主の仰せ。
私が目を注ぐのは、
苦しむ人、霊の打ち砕かれた人
私の言葉におののく人。(イザヤ66:2)
イエスは祈る:真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの言葉は真理です。(ヨハネ17:17)

「真理によって、彼らを聖なる者としてください。」主イエスさまの祈りです。十字架にかけられる前の夜、主イエスが弟子たちのために祈った祈りです。私たちのための祈りです。「真理によって、彼らを聖なる者としてください。」私たちを神さまが聖なる者としてくださいますように、と主イエス・キリストが祈ってくださいます。
聖なる者というのは、その人が清らかな人物であるとか、聖なる雰囲気を身にまとっているとか、そういうことではないと思います。聖なる者、それは、神さまとの関係の話です。神さまのもの、もっとはっきり言えば神さまの所有物である、ということです。キリスト者という言葉は、キリストのもの、ということです。洗礼を受けた者は皆キリストのものです。キリストの所有物、キリストの焼き印を身に帯びています。キリストは私たちを聖なる者としてくださいと神さまに祈りました。そしてキリストの祈りが空しく地に落ちるなどということは考えられません。私たちは神様にあって聖なる者です。
「これらはすべて私の手が造ったもの、これらはすべて私のものであるーー主の仰せ。」私たちは、神さまのものです。だから、神のものとして私たちは「私が目を注ぐのは、苦しむ人、霊の打ち砕かれた人、私の言葉におののく人」という言葉を福音の言葉として聞きます。私たちの苦しみの日にも、悲しみの日にも、神さまは私たちをご自分のものと宣言してくださいます。私たちの霊が打ち砕かれ、悔い改めの祈りを捧げる時、私たちが神さまの御言葉に恐れおののく時、神さまはそれを喜んで受け入れてくださいます。私たちが神さまのものだからです。
私は不確かですし、心は移りゆくし、どうしたって自分は当てにならないけれど、私を御自身の聖なる者とすると宣言する神の言葉は確かです。「あなたの言葉は真理です」とキリストが言われる通りです。神さまの福音の宣言の中、私たちは新しい一日を始めていくのです。

2024年4月29日の聖句

主は正しい。私は主の口に逆らった。(哀歌1:18) ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言った。兄は「いやです」と答えたが、後で考え直して出かけた。(マタイ21:28~29) 今日の新約の御言葉は、主イエスの譬え話です。二人...