神の祝福とは一体何なのかを問われる詩編だ。時折この世の成功に類する出来事を得たときに神の祝福を口にする。それはそうかも知れないが、「死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず」と肝に銘じたい。むしろ、「財宝を頼みとし、富の力を頼る者を」恐れるのを止めようと言う。魂を贖う値は富よりも遙かに高いからだ。「人間は栄華のうちにとどまることはできない。」ただ神だけが私を救ってくださる。生活の中の本音として信じよう。
2024年4月28日の聖句
今週の聖句: 新しい歌を主に歌え。まことに主は奇しき業を成し遂げられた。(詩編96:1) 今日の聖句: 私の思いを一つにし、あなたの名を畏れる者にしてください。(詩編86:11) 神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名を、お与えになりました。それは、イエスの御名によって、天...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...
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詩編29~30 主は洪水の上に座し 主は王として、とこしえに座した。 主がその民に力を与えてくださるように。 主がその民を祝福してくださるように 平安のうちに。(30:10~11) 川の水はかの平清盛にさえもどうにもならないと言わしめたと聞き及んだことがあります。私たち人間の...