2019年1月12日土曜日

2019年1月12日(創世記22〜23)

今日の通読箇所:マタイによる福音書10:1~23、創世記22~23、詩編16

創世記22~23;
今日与えられた創世記の箇所では、二つの仕方で、アブラハムが神様の約束の実現を経験します。
まず、第22章。神はアブラハムを試み、独り子イサクを焼き尽くすいけにえとして献げるように命じます。彼は、それに従いました。その途上でアブラハムにどんな葛藤があったのか、どんなにつらかったのか、想像にあまりあります。しかし、聖書はそのようなことには一切口をつぐみます。ただ、アブラハムはイサクと共に神に命じられた山に登り、息子を縛って祭壇の薪の上にのせ、刃物を取って屠ろうとしました。そこで、神様に止められたのです。アブラハムにとっては、息子を死者の中からよみがえらせて頂いたような出来事だったのではないでしょうか。
アブラハムは神様から約束を受けていました。「あなたの妻であるサラがあなたに男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい。私は彼と契約を立て、それをその後に続く子孫のために永遠の契約とする。(17:19)」その約束の実現は、ただイサクが生まれただけで完成したのではなく、イサクがまさに死者の中からもう一度彼に与え直されるようにして、現実のものとなりました。
もう一つのことは、第23章です。アブラハムの妻サラが死にました。アブラハムは妻を葬るために、ヘト人に銀を支払って墓地を買います。「こうして、マムレの向かい、マクペラにあるエフロンの畑地・・・が・・・アブラハムの所有と決まった。(23:17-18)」これも神の約束の実現です。この土地を与える、という約束の。
こうしてみると、アブラハムが神の約束の実現を経験した出来事は、深く死と関わっています。イサクをささげ物にしようとしたこと、しかしその直前に神が止められた。死者の中から再び命を与えられてイサクを返されたも同然だったこと。そして、妻の死をきっかけに、わずかな墓地を自分のものとして所有したこと。これら二つの出来事は、私たちの信仰が死を超える希望の中で、神の約束の実現を信じるものであることを象徴します。私たちは、自分自身についても、伴侶や子どもについても、あるいは他の愛するものについても、その死を超える希望を神様から頂いています。神様の約束は、私たちの死を超えて確かなのです。それが、今朝、私たちに与えられた福音です。

2024年5月15日の聖句

主よ、朝ごとに私たちの腕となり、 苦難の時に私たちの救いとなってください。(イザヤ33:2) この白い衣を身にまとった者たちは誰か。またどこから来たのか。この人たちは大きな苦難をくぐり抜け、その衣を小羊の血で洗って白くしたのである。彼らは、もはや飢えることも渇くこともない。(黙示...