2019年8月1日木曜日

2019年8月1日(歴代誌下11〜12)

今日の通読箇所:コリントの信徒への手紙一1、歴代誌下11~12、箴言27

歴代誌下11~12;
分裂した北王国を取り戻そうと、南王国ユダのレハブアム王は北に攻め上ろうとしますが、神様がそれをお止めになります。「攻め上ってはならない。兄弟と戦ってはならない。それぞれ自分の家に帰りなさい。このことは私から出たのである(11:4)」。こうして、北と南の分裂は確定的になります。ところが、北からレビ人たちが南にやって来ました。「レビ人は自分の牧草地と所有物を捨てて、ユダとエルサレムに向かった。彼らが主の祭司であることを、ヤロブアムとその子らが拒み、高き所、山羊の魔神、自分で造った子牛のためにヤロブアム自らが祭司を立てたからである(15節)」。そして、「彼らは三年間、ユダの国を強くし、ソロモンの子レハブアムを励ました。彼らが三年間、ダビデとソロモンの道を歩んだからである(17節)」。
ところが、その道は順調には進みませんでした。「レハブアムは王権を確立し、自らが強くなると、主の律法を捨てた。イスラエルのすべての人々も彼に倣った(11:1)」。結局、レハブアムは主を捨ててしまった。その理由は自分が強くなったからだと言います。考えさせられます。困ったときだけ神を求め、なんとか軌道に乗ったらすぐに忘れてしまう。私たちの実態をそのまま映し出すような存在なのかもしれません。
レハブアムと国民らは、主を捨てたために、主ご自身に捨てられてしまいました。「あなたがたが私を捨てたので、私もあなた方を捨てて、シシャクの手に渡す(12:5)」。レハブアムもユダの人々も、せっかくレビ人が集結し、神様を信じる国を造り励ましと力を頂いたのに、転がり落ちるときはあっという間でした。神様の御前にへりくだり、いつもこのような神を捨てる罪の姿が私の原点だと知り、悔い改めつつ歩んでいきたいと思わされます。

2024年5月17日の聖句

あなたは寄留者を抑圧してはならない。あなたがたは寄留者の気持ちが分かるはずだ。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。(出エジプト記23:9) 正しい人たちが王に尋ねた。「主よ、いつ、見知らぬ方にお宿をお貸ししたでしょうか。」王は答えた。「よく言っておく。この最も小さな...