2019年9月22日日曜日

2019年9月22日(イザヤ書47〜48)

今日の通読箇所:テモテへの手紙一1~2、イザヤ書47~48

イザヤ書47~48;
あなたの知恵と知識、これがあなたを誤らせた。あなたは心の中で言った。「私だけがいる。私のほかにだれもいない」と。(47:10)
まるで、現代を生きる私たちに向けられた言葉であるかのようです。いや、事実そうなのでしょう。私たち人間の営みは、どんな時代でも、自分の知恵と知識のために高慢になり、自分(たち)こそが唯一だと勘違いしている。それが本当のところであるのだろうと思います。この「私だけがいる」という言葉は、主なる神様の言葉に似ていると思いました。「私は主、ほかにはいない。私のほかに神はいない(45:5)」。神様が「私だけだ」と言えば、この方の救いの絶対性を強く訴える言葉になります。ところが私たちの心から出てくる「私だけ」は、自分勝手や傲慢に他ならず、互いを滅ぼし合ってしまう結果になるのではないでしょうか。知恵も知識も、それ自体は良いものであるはずです。しかしそれが私たちを誤らせてしまうことがあるのは、神様を無視した知恵や知識が、いかに簡単に化け物を造り出してしまうのか、ということなのではないでしょうか。
神様の救いの御業は、そういう私たちの知恵や知識の外から始まります。「これから私が新しいことを聞かせよう、あなたの知らない秘められたことを。それは今創造された(48:6~7)」。私たちが知らない新しい神の御業とは、一体何か。「あなたは聞いたこともなく、知ってもいなかった。あなたの耳はずっと前から開かれていなかった。あなたが必ず裏切ることを、母の胎にいる時から背く者と呼ばれていたことを私は知っていた。私は、自らの名のために、怒りを遅らせ、自らの誉れのために、これを抑えて、あなたを立ち滅ぼさなかった(8~9節)」。私たちの知恵は、大抵は因果でなりたっています。悪い人が栄え、正しい人が滅びるのを見れば、腹が立ちます。しかし、神様は、そもそも悪い私たちを私たちの悪さのゆえに滅ぼさず、却ってご自分のお名前のために救ってくださる、と言われる。私たちの知恵が及ばない、神様の新しい御業は、こういうところに現れるのだ、というのです。
今日、新しい一日を迎えるこの新しい時間に、神様の新しい御業に思いを向けましょう。私たちを新しく愛し、救ってくださる神様の憐れみが、今日も新しくあなたに注がれています。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...