2019年12月21日土曜日

2019年12月21日(ハバクク書)

今日の通読箇所:ルカによる福音書1:1~25、ハバクク書

ハバクク書;
主よ、いつまで助けを求めて叫べばよいのですか。あなたは耳を傾けてくださらない。「暴虐だ」とあなたに叫んでいるのに、あなたは救ってくださらない。なぜ、あなたは災いを私に見せ、労苦を眺めたままなのですか。(1:2~3)
主よ、なぜですか?いつまでなのですか?預言者ハバククは問います。「ハバクク書」は、預言書の中では少し変わったものだと思います。人々に聞かせるための預言の言葉というよりも、むしろ、神への祈りにです。恐らく北王国イスラエルが滅亡し、次第にユダが衰退をし、まだバビロンが強く台頭はしてきていない時期です。しかし南王国ユダも、すでに、苦しみと嘆きの中にあったようです。それがこのハバクク書の背景です。
ハバククは、神に向かって、苦しみの中、なぜ私たちは苦しまねばならないのか、なぜ悪しき者が栄えているのかと問うています。なぜ、私たちはこのように虐げられ、周囲の強国の好いようにされなければならないのか。
これに対する神の答えは、「私はカルデア人を興す。彼らは残忍で残虐な国民」(1:6)というものでした。カルデア人、バビロニア人のことです。カルデア人が、自然と台頭してくるというのではありません。神がカルデア人を興すのだ、と言います。これが「なぜ」という祈りへの答えなのか、と言いたくなるような答えです。カルデア人については、確かに「彼らには罪がある。己の力を神とするからである」(11節)と指摘されてはいる者の、それでも、ハバククの嘆きの吐露に対する答えとしては、あまりではないかと言いたくなるものではないでしょうか。
ハバククは、さらに訴えます。「主よ、あなたは昔から、わが神、わが聖なる方、不死なる方ではありませんか」(12節)と食らいつく。諦めないで祈ります。この後、ハバクク書を読んでいっても、特に何かが解決したといったことは書かれていません。むしろ彼の時代を考えると、時を経るごとに状況は苛烈になり、悪化します。そういう苦しいときにハバククは祈りました。彼への神の答えは、これです。「見よ、高慢な者を。その心は正しくない。しかし、正しき人はその信仰によって生きる」(2:4)。
ハバククは、主への信頼に生きた人です。周りの状況が目に見えて改善したから神を信じたわけではありません。悪い状況のままで、しかしなお神を信頼しました。それでも神を信じました。ハバククは、信仰によって生きる義人でした。「いちじくの木に花は咲かず、ぶどうの木は実をつけず、オリーブも不作に終わり、畑は実りをもたらさない。羊はすべて囲いから絶え、牛舎には牛がいなくなる。それでも、私は主にあって喜び、わが救いの神に喜び踊る」(3:17~18)。この預言者、その存在をかけた一人の信仰は≪それにもかかわらず≫神を信じる喜びを、私たちに証ししています。何か自分の間に好ましいことがあって、≪それだから≫信じるのではない。何一つ目に見える確かさはないけれど、≪それにもかかわらず≫神を信じる。それが、信じるということです。

2024年5月17日の聖句

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