2021年4月12日月曜日

2021年4月12日(詩編106)

詩編106
主は言われた、「彼らを滅ぼそう」と。
しかし、主に選ばれたモーセは
主の前で破れ目に立ち
滅ぼそうとする主の憤りをそらせた。(23節)

神さまの御前にあるイスラエルの人々は、神さまが常に示してくださった慈しみを裏切り、反抗することの連続でした。主の業を忘れ、偶像を造ってはこれにひれ伏し、神さまの前に悪を重ねました。荒れ野で神さまはモーセに言われます。「彼らを滅ぼそう」と。しかし、モーセは「主の前で破れ目に」立ったのです。
破れ目に立つ。どんなに立派な城壁があっても、あるいは堅牢な壁があっても、破れているところがあればそこから攻め込まれてしまいます。すてきなドレスで見栄えよく装っても、破れ目があればやがて全体的に裂けてしまってボロボロになります。破れ目は、そういう弱いところ、あるいはもっとはっきり言えば、神さまの前に罪深いところのことだと思います。神さまの取り計らいを信頼できずに金の子牛を造ってひれ伏したり、神さまに期待して祈ることを止めてしまったり。私たちの破れ目がある。
しかし、イスラエルの破れ目にモーセは立ちました。いちばん罪深いところを覆うようにして、イスラエルの人々のために祈り、神さまに赦しを請いました。そのモーセのゆえに、神さまはイスラエルの民を受け入れ、やがて約束の地まで連れて行ってくださったのです。
しかし、モーセが死んだ後も、イスラエルはひたすら破れ目だらけの有り様でした。それは私たち自身を省みればよく分かります。そして、究極的に私たちの破れ目を覆ってくださったのは、イエス・キリストに他ならないのではないでしょうか。私たちのいちばん弱く、罪深く、赦しがたいところを神さまの御前に新しくするために、キリストは私たちの破れ目に立ってくださったのです。
だから、私たちは、自分という城壁や服を見つめながら「破れている」とを嘆かなくてよいのです。キリストが新しくしてくださったから。そして今度は私たち自身も隣人の破れ目に立つ者として、キリストは私たちを新しくしてくださいます。今日も、キリストの平安があなたにありますように。

2024年5月6日の聖句

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