2021年7月20日火曜日

2021年7月20日(箴言31)

箴言31
有能な妻を見出すのは誰か
彼女は真珠よりもはるかに価値がある。
夫は心から彼女を信頼し
儲けに不足することはない。(10~11節)
あでやかさは偽り、美しさは空しい。
主を畏れる彼女こそ、誇ることができる。
彼女の手の実りを彼女に与え
その働きを城門でたたえよ。(30~31節)

長い箴言の最後に書かれているのは「有能な妻」についての言葉です。有能と言われているとおり、確かにものすごい女性像を描いています。
「彼女は生涯にわたって
夫に幸いをもたらし、災いをもたらすことはない。」
「彼女は夜明け前に起き出して一家の食事を整え
働く若い女たちに指図を与える。
よく思い巡らした上で畑を購入し
手ずから得たもうけの果実でぶどう畑をもうける。」
女性にとっても、しかしそれだけではなく男性にとっても、少し怯んでしまうような言葉です。自分の姿を考えると恥ずかしい気持ちにだってなりかねないからです。
どうして箴言はわざわざ最後にこのような言葉を伝えているのでしょうか。そのヒントは最後の30節のところだと思います。「主を畏れる彼女こそ、誇ることができる。」主を畏れる、それは箴言が伝えてきた知恵そのものです。家庭生活の中でも、あるいはそこでこそ、主を畏れ、主に仕え、家族に仕えるという道を箴言は私たちに見せているのではないでしょうか。それは妻でも夫でも同じだと思います。家庭は、主が真ん中にいてくださるときにこそ生き生きとします。
それは、夫や妻がキリスト者ではないという家庭であっても同じです。信者ではない夫や妻は、信者である妻や夫によって聖なる者とされています。私たちの家庭生活も主なる神様の祝福の内にあるし、そのことを日々求めて生きることもまた主にある知恵の行いなのです。

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