2021年8月25日水曜日

2021年8月25日の聖句

神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。(創世記1:27)
主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。(1コリント11:11~12)

人は神のかたちに造られました。「かたち」は漢字で書けば「像」、英語ならimageです。手と足が二本ずつあって直立歩行をし、道具を使いこなす。そういう意味での「かたち(形)」ではありません。それでは、神のかたちに造られたというのは何を意味しているのか。聖書は、端的に「男と女に創造された」と言っています。面白い表現です。例えば「神のかたち、すなわち男に造られた」あるいは「神のかたち、すなわち女に造られた」と書いてあるのなら、神さまのかたちというのは男のこと、あるいは女のこと、ということになるでしょう。ところが聖書はそうは言わないのです。神さまは人を御自分にかたどってお造りになった、男と女とにお造りになった、それが神のかたちだ、と言うのです。
男と女というのは、ここでは、異なる他者という意味ではないかと思います。神のかたちに造られた人間は、自分とは異質の存在、自分とは異なる他者と共に造られた。異質な者と共に生きるところに、神のかたちに造られた意味があるのではないでしょうか。神さまご自身が、父・子・聖霊という三つの関わりをご自身の中にお持ちでいらっしゃるということのこだまがここにあるのではないかと思います。
「主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。」これは使徒パウロが書いた手紙の1節ですが、今から2000年も前という時代を考えると、驚くべき言葉です。女が物の数に入れられていない時代に書かれた文書なのです。時代の空気にあらがって、聖書は言います。「主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。」神が男と女に造られた。男なしに女はないし、女なしに男はない。私たちは異質な者を助け手とすることなしに生きることはできないのです。
私たちの性も、神さまの祝福のうちにあります。男であることも女であることも、神さまの祝福の内にある。この肉体を、神さまは祝福しておられる。そして私たちの心をも、神さまは祝福しておられる。世間の目や評価ではなく、神さまの祝福を基準として、自分を自分として尊んで生きていきたいと願います。

2024年5月4日の聖句

あなたがたは豊かに食べて満ち足り、あなたがたの神、主の名をほめたたえる。(ヨエル2:26) イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで祝福し、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆にお分けになった。人々は皆、食べて満腹した。(マルコ6:41~42) 「我らの日用...