2021年10月12日火曜日

2021年10月12日の聖句

私たちが御前に祈りと信頼をもって伏すのは、私たちの義(ただ)しさによるのではなく、あなたの大いなる憐れみによります。(ダニエル9:18)
キリスト・イエスにあって、キリストに対する信仰により、私たちは確信を持って大胆に神に近づくことができます。(エフェソ3:12)

「あなたの憐れみ」、主なる神様の憐れみによって!これが私たちのすべてです。これ以外には何もない。神を信じるというのは、唯一の神がいるということを信じるということではありません。そのようなことは悪魔だって知っています。単に神が存在するとか偉大だとか、そういうことではなく、この果てしなく大いなる方が私を憐れんでくださっていると信じることです。いや、その「信じる」ということさえも私たちの信仰力のようなものではない。ただ神の憐れみの中で神の御前に生かされているという、そのことだけなのです。
だからこそ、私たちは神さまに祈ることができるし、神さまと共に生きることは私たちの計り知れない喜びです。「キリスト・イエスにあって、キリストに対する信仰により、私たちは確信を持って大胆に神に近づくことができます。」キリスト・イエスにあって、と言っています。イエス・キリストとお呼びすることが多いですが、ここでは「キリスト・イエス」とお呼びしています。「イエス・キリスト」は、イエスはキリスト、イエスは救い主という意味です。「キリスト・イエス」と順序が変わると、キリスト、救い主はイエス、この方をおいて他にはないと強調点が変わると言うことができると思います。
「キリスト・イエスにあって、キリストに対する信仰により、私たちは確信を持って大胆に神に近づくことができます。」イエスというこの救い主、他にはいない無二の愛のお方が私たちを父なる神様の御前に連れ出してくださいます。この方が私たちが大胆にも神に祈る道を拓いてくださいます。神の憐れみ、キリストの憐れみによって、私たちは神の愛の中で生きる幸いに招き入れられたのです。

2024年5月2日の聖句

(主の言葉)もし、わが民が私に聞き従うならば。(詩編81:14) あなたがたは揺るぐことなく、しっかりと信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。(コロサイ1:23) 主なる神さまは、私たちが主に聞き従うことを願っておられる。聖書はそうはっきりと言い...