2021年10月14日木曜日

2021年10月14日の聖句

幸いだ、ヤコブの神を助けとし、主に自分の望みを置く者は。(詩編146:5)
毅然としていなさい、そうすればあなたがたは命を得る。(ルカ21:19)

どのようなときにも毅然としているというのは、私のような気が小さい者には難しいことです。しかし臆病というのはほめられたことではありません。そうは分かっていても、毅然とできない、つまりおびえたり怖がったりするというのは「感情」ですから、これをコントロールするのは簡単なことではありません。
「幸いだ、ヤコブの神を助けとし、主に自分の望みを置く者は」と詩編は言います。ヤコブの神、と主なる神様をお呼びしています。ヤコブというのはアブラハムの子であるイサクの子の名前です。エサウという双子の兄がいました。ヤコブは父と兄を騙し、兄の憎しみをかって家にいられなくなってしまいました。一人で遠い国の親戚の家に逃れた。石を枕にして寝たこともありました。やっとたどり着いて迎えてくれた伯父は狡猾な人で、ヤコブをずいぶん騙してたっぷり働かせました。ヤコブは人間的にほめられるような高潔な人物ではまったくありません。しかし、どんなときにも神さまを信じ続けました。「幸いだ、ヤコブの神を助けとし、主に自分の望みを置く者は。」これは、そんなヤコブが信じた神を、ヤコブのようにしがみついて放さない必死さをもって信じ、望みをおく、ということです。この神に望みを置く者は、これからは毅然として生きることができるということではないでしょうか。
私が学生時代を過ごした教会にSさんという方がおられました。中学校の教師でした。教師生活最後の任地として、市内で最も荒れた中学校に自ら望んで赴任したそうです。使命感をもってのことだと思います。しかし、それでもやっぱり怖かった。最寄りの駅から歩いて通勤をした。歩きながら、主の祈りを祈ったそうです。主の祈りを祈りながら学校へ行き、中学生たちと向き合って生きた。とても印象的な話でしたから、私もよくまねをして主の祈りを祈りながら歩きます。
今日、主が私たちと共にいてくださいます。だから、私たちは毅然として生きることができる。主に頼り、主に望みを置く者として。キリストの平和が今日もあなたと共にありますように。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...