2021年10月29日金曜日

2021年10月29日の聖句

あなたのものです、主よ、王国も。あなたはすべてのものの上に、かしらとして崇められます。(歴代誌上29:11)
だから憐れみを受け、恵みにあずかり、折りに叶った助けを得るために、堂々と恵みの座に近づきましょう。(ヘブライ4:16)

主の祈りの最後の部分、「国と力と栄えとは限りなく汝のものなればなり」という頌栄の言葉は、もともと主イエスが弟子たちにお教えになった祈りではありません。後に教会が付加した神への賛美の告白です。主イエスがお教えになった主の祈りオリジナル言葉ではない。そのことははっきりしています。しかし世々の教会はこの言葉をも主の祈りの欠かせない一部として祈り続けてきました。「国と力と栄え」、これらはどれも政治の匂いがする言葉です。世の支配者たちは自分の「国」を築くことにやっきになり、そのために「力」を振りかざし、自分たちを信頼させようと「栄光」を身にまとおうとします。しかし私たちは、国と力と栄光とは、永遠に主なる神様のものであると信じ、そのように祈っているのです。
「あなたのものです、主よ、王国も。あなたはすべてのものの上に、かしらとして崇められます。」神が国を支配し、すべてのものの頭として崇められますように。私たちの国や社会を形成している原理やシステムは、どういう価値観や考えの上に造られているのでしょうか。もしもそれが消費することを豊かさのしるしだと考えるものであったり、成功することが人生の価値だと考えたりするものであったとしたら、それは主イエスの教えてくださったこととは違っていると言わざるを得ないと思います。ただ、私たち人間がすることは、例えどういう人が権力を持つにしても不可避的に、神さまから離れた国作りにならざるを得ないのかも知れません。だからこそ、私たちは祈る。「あなたのものです、主よ、王国も。あなたはすべてのものの上に、かしらとして崇められます。」神を崇め、身を低くして生きることが、私たちが人間らしく生きる第一歩だと私は信じています。

2024年5月2日の聖句

(主の言葉)もし、わが民が私に聞き従うならば。(詩編81:14) あなたがたは揺るぐことなく、しっかりと信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。(コロサイ1:23) 主なる神さまは、私たちが主に聞き従うことを願っておられる。聖書はそうはっきりと言い...