2021年11月10日水曜日

2021年11月10日の聖句

湧き出す水源から流れ出す水は涸れることがあるか。しかし私の民は私を忘れ去った。(エレミヤ18:14~15)
私の愛にとどまりなさい。(ヨハネ15:9)

私たちは、神さまを忘れてはならないのです。それは、神さまが私たちの生ける水の水溜だからです。「わが民は二つの悪をなした。命の水の泉である私を捨て、自分たちのために水溜を掘ったのだ。水を溜めることもできない、すぐ壊れる水溜を」(エレミヤ2:13)。他の何でもなく、神さまこそが私たちを生かす命の泉なのです。
水がわき出る泉から水が尽きることはない、それなのに「私の民は私を忘れ去った」と神さまは言われます。それは私たちが自分の命の源を蔑ろにすることであって、とても不自然なことです。私たちの存在がさかさまになってしまう。生ける命の泉から切り離されれば、干ばつのときの植物のように、私たちは枯れてしまいます。
植物が水やりを拒否することはありません。動物が餌を拒むことも考えられません。ところが私たちは、なぜ、命の源である神さまを離れてしまうのでしょうか。私たちの苦しむいろいろな歪みや悲しみは、そこに根本的な原因があるのです。
「私の愛にとどまりなさい」と主は言われます。主が私たちに告げるのは、一つのことです。「私の愛にとどまりなさい。」キリストの愛のうちに、キリストによって示された父なる神様の愛のうちに、私たちがとどまり、キリストの愛の中に私たちが生きることです。ぶどうの木に枝がつながるように、主の愛の中に生きることを、キリストは私たちに願っていてくださるのです。

2024年5月6日の聖句

災いの日に、主は私を仮庵に隠し、幕屋の隠れ場にかくまってくださる。(詩編27:5) 主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。(2テサロニケ3:3) 私たちの神さまは、災いの日に私たちをかくまい、私たちを守ってくださるお方です。どんな災いにも打ち勝ち、ど...