2021年12月10日金曜日

2021年12月10日の聖句

私は怒りであなたを打ったが、恵みであなたを憐れんだ。(イザヤ60:10)
神は私たちに不利な規定に基づく債務証書を贖い、それを破棄して十字架に釘付けられた。(コロサイ2:14)

債務証書という言葉があります。会計の言葉です。神さまの手もとに、私たちの人生の勘定帳がある。一つひとつ、私たちの人生の良いことと悪いこととが書いてある。差し引きすると、その勘定帳は黒くなっているのか、赤くなっているのか。神さまのおつけになっている私たちの勘定帳には何と書いてあるのでしょうか。
そこには「一万タラントンの借金あり」と書いてあります。1タラントンは6000デナリオン。1デナリオンは労働者一日分の賃金に相当します。一万タラントンは6000万日(約16万年!)飲まず食わずで働かないと返せない額です。返済は絶対に不可能です。神さまの前には私たちの債務証書が積み上がっています。債務不履行です。
神さまが公正で厳格に私たちの債務の返済をお求めになったとしたら、私たちは皆首をくくるしかありません。しかし神さまはそうはなさいませんでした。あの一万タラントンの借金をしていた僕に対して、神さまは彼の借金を帳消しにしてやりました。聖書は言います。「私は怒りであなたを打ったが、恵みであなたを憐れんだ。」神さまは怒りをもって私たちに臨むのではなく、恵みによって私たちを憐れみ、私たちの借りを全部帳消しにしてくださったのです。
私たちがもしも愛の行いに生きることができたとしたら、それは、愛の借りをお返ししているだけのことです。いつまで経っても返し終わることはありません。しかし、それは私たちにとっては喜びです。なぜなら、神さまは私たちの借りを、神の恵みによって憐れみ、赦してくださったからです。私たちは神が赦してくださった借りを、せめて少しでもお返ししているに過ぎない。それが神の愛に応えるということです。
私たちの借りは主イエス様が全部引き受けてくださいました。キリストを信じて洗礼を受けるというのは、結婚のように私たちの借金が全部キリストの借金になった、ということです。キリストが私たちの花婿として全部引き受けてくださった。そしてキリストが持っておられた神の恵みと慈しみがすべてわたしたちのものとなった。これがキリストの十字架の意味です。私たちは「愛する」という神さまにお借りしている負債を、既に帳消しにして頂いた借りをお返しするために、今日、小さな愛の業に生きていくのです。

2024年4月30日の聖句

主よ、思い起こしてください、あなたの憐れみと慈しみを。それはとこしえからあるもの。(詩編25:6) しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛とが現れたとき、神は、私たちがなした義の行いによってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。この憐れ...