2022年1月18日火曜日

2022年1月18日の聖句

あなたの杖で、ご自分の民を牧してください。(ミカ7:14)
羊は牧者の声を知っているので、付いていく。(ヨハネ10:4)

聖書には、羊と羊飼いのイメージがいろいろなところに出てきます。詩編第23編や、「私は良い羊飼いである」という主イエスさまのお言葉が、最も代表的な羊飼いの譬えではないでしょうか。私たちの愛するイメージです。
ただ、もしかしたら、私たちが羊飼いと聞いてイメージする内容と、聖書の民のイメージとは少し違うところもあるのではないかと思います。聖書では、「羊飼い」が王の譬えとして語られることがあるのです。例えばエゼキエル書第34章です。ここでは悪政を行う王たちを、羊を虐げる羊飼いに譬えています。羊飼いはイスラエルの人々にとって身近な存在でしたから、羊を守り、羊を導く羊飼いの姿から国のリーダーの姿を思い浮かべるというのは自然なことであったのではないかと思います。
「あなたの杖で、ご自分の民を牧してください。」預言者ミカのこの言葉の背後には、このイメージがあるのだと思います。恐らく、ミカは先ほどのエゼキエルが直面したのと似たような現実を見ていたのではないでしょうか。政治家が私利私欲に走り、神を敬うこともなく、民を虐げている。人間の政治にもはや期待することができない。民は苦しみ、あるいは民自体も腐敗し、神を信じ、神の前に誠実に生きようとしない。隣人との関係も壊れてしまっている。「あなたの杖で、ご自分の民を牧してください。」この祈りは、私たちをどうか救ってくださいという切なる願いではないでしょうか。
主イエスは言われます。「羊は牧者の声を知っているので、付いていく。」私たちは、羊である私たちの牧者の声を知っているでしょうか。他の悪い羊飼いに付いていって、自分自身も悪くなってはいないでしょうか。真の羊飼いでいらっしゃる主イエスさまは、私たちの名前を呼んでいてくださいます。この羊飼いは私たちを愛し、羊である私たちのために命を捨ててくださいました。主イエスさまの声をしっかりと聞き分け、このお方に付いていきましょう。
主イエスの声を聞くとは、聖書の御言葉に触れ続けるということです。牧者キリストに付いていくとは、このお方に祈ることです。世の巷には、自分本位な羊飼いたちの声が高らかに響いています。魅力的で、おいしそうに見える草を見せるかも知れません。しかし、羊のために命を捨てる羊飼いが、他にいるでしょうか?私たちの名前を呼び続け、私たちを目の瞳のように愛してくれる羊飼いが、他の一体どこにいるのでしょうか?私たちの真の羊飼い、主イエス・キリストの声に耳を傾けましょう。

2024年4月27日の聖句

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