2022年6月19日日曜日

2022年6月19日の聖句

惜しまず与える人はますます豊かになり、物惜しみをする人は自分自身を乏しくする。(箴言11:24)
パウロは言った:あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が「受けるよりは与える方が幸いである」と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。(使徒20:35)

「受けるよりは与える方が幸いである」とおっしゃったとおり、主イエスさまは与えて、与え尽くされました。
「惜しまず与える人はますます豊かになり、物惜しみをする人は自分自身を乏しくする。」この御言葉は、まさに主イエスさまの歩みを言い表している御言葉であると思います。主イエスは惜しまずにお与えになった。主イエスの「ますます豊かになり」とは、この世で誰もが欲しがるような富において豊かになるということではありませんでした。主イエスはご自分のすべてを与え尽くしました。そもそも、神御自身であるというお立場さえもお与えになった。貧しくなられ、弱くなられました。すべてのものを与え尽くされた。主イエスさまは、そうやって神さまの御前に豊かになられました。この世で受けた報いは、十字架だけでした。そのキリストを、神は死者の中から引き上げてご自分の右の座に着かせられた。主イエスは神がくださる豊かさだけに生きられたのです。
「受けるよりは与える方が幸いである。」この言葉は、主イエスさまにしか言うことのできない言葉です。道徳訓としては、似たようなことを言っている人もいるかも知れません。しかし究極にすべてを与え尽くした神御自身にしか、本当に言うことのできない言葉なのではないでしょうか。そして、主イエスさまが言ってくださったからこそ、私たちにとっても本当に真実な言葉なのではないでしょうか。
「受けるよりは与える方が幸いである。」主イエスさまは、私たちを今日もこの幸いに招いておられます。神さまは私たちにすべてのものをプレゼントしてくださいました。私たちが持つ物で、頂かなかった物は一つもない。すべてを与えて私を生かしてくださった方が、私たちを「与える幸い」に招いておられるのです。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...