2022年8月1日月曜日

2022年8月1日の聖句

平和、平和があるように
遠くにいる者にも、近くにいる者にも
「私は彼らを癒やそう」と主は言われる。(イザヤ57:19)
平和の神があなたがた一同と共にいてくださいますように。(ローマ15:33)

平和。私たちは本当に切実に平和を必要としています。今日から8月になったということを考えるときに求める平和、という意味においてもそうです。それに、もっと身近な、家族や仲間たちとの平和、あるいはどうしてもわだかまりが残っている人との間の平和もあります。あらゆる人との間に平和がほしいのに、なかなかそれが実現しないというのが私たちの実際のところではないでしょうか。
主なる神さまはおっしゃいます。「私は彼らを癒やそう」と。私たちには神さまの癒やしが欠かせないからです。神さまに癒やされることなくして、私たちが平和に生きることはできないからです。私たちの隣人との間の平和には、どうしても、神さまの平和が必要なのです。
「平和の神があなたがた一同と共にいてくださいますように。」あなたがた一同と共に、と言っています。私に個人的に平和の神が訪れるのではない。他の人から隔絶した私に、ひっそりと平和の神が来るというのではない。「平和の神があなたがた一同と共にいてくださいますように。」平和の神は、実に、私たちの間におられるのです。神さまは、私にとって気に触る人や、ちょっと厭な感じがする人、できれば顔を合わせたくない人との間におられる。そして、私たちがその人に和解の手を伸ばすとき、キリスト御自身がその手を取ってくださるのです。
平和。そのことを考えると、私には主イエス・キリストの憐れみにすがるしかないと痛切に思わされます。他に一体どうして私が平和に生きることができるのでしょうか。平和の神、主イエス・キリスト、このお方の真実と関係のないところで、一体どうして私に平和が訪れるのでしょうか。キリストが私のために血を流して、和解の手を伸ばしてくださいました。キリストが私のために肉を裂いて、私の平和になってくださいました。このお方こそが私の平和、私の救いなのです。

2024年5月6日の聖句

災いの日に、主は私を仮庵に隠し、幕屋の隠れ場にかくまってくださる。(詩編27:5) 主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。(2テサロニケ3:3) 私たちの神さまは、災いの日に私たちをかくまい、私たちを守ってくださるお方です。どんな災いにも打ち勝ち、ど...