2022年8月13日土曜日

2022年8月13日の聖句

主の僕は言った:打とうとする者には背中を差し出し、ひげを抜こうとする者には頬を差し出した。辱めと唾から私は顔を隠さなかった。(イザヤ50:6)
見よ、これが世の罪を担う神の小羊です。(ヨハネ1:29)

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊です。」これは、洗礼者ヨハネが主イエスを指さして言った言葉です。主イエス・キリスト。この方こそ、世の罪、私たちの罪を取り除く神の小羊。旧約聖書を読むと、罪の赦しの祭儀をするために、小羊が屠られ、血を流されると書かれています。主イエスさまが神さまの御前に小羊として血を流し、私たちの罪を負う犠牲になってくださいました。聖書は、このお方の血によってでしか、私たちの罪はゆるされなかったと訴えます。
「打とうとする者には背中を差し出し、ひげを抜こうとする者には頬を差し出した。恥ずかし目と唾から私は顔を隠さなかった。」主の僕は、打とうとする者にその背中を差し出し、ひげを抜こうとする者にその方を任せ、辱めと唾を甘んじて受けます。そうやってご自分を差し出す方によってでしか、私たちが救われることがないからです。
イザヤ書が伝える主の僕は、洗礼者ヨハネが指さす神の小羊、主イエス・キリストのことです。傷つけられ、辱めを受け、血を流す救い主によってでないと、私たちは救われない。それは、神さまが私たちに与えてくださった救いが、罪の赦しの救いだからです。私たちのために犠牲になり、罪を代わりに負ってくださる方でなければ、私たちを罪から救うことができないのです。
キリストがいてくださるので、私たちは神さまに向かって顔を上げることができます。キリストが血を流してくださったので、私たちは神さまとの間にも隣人との間にも平和を得ています。キリストが小羊になってくださったので、私たちは死を恐れずに済みます。キリストが私たちのための犠牲になってくださったので、私たちは孤独ではないのです。
今日も、主イエス・キリストの恵みと平和があなたにありますように。心から、キリストの祝福を祈っています。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...