2022年9月8日木曜日

2022年9月8日の聖句

見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える。(マラキ3:1)
それからすぐに、霊はイエスを荒れ野へ追いやった。イエスは40日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共におられた。そして、天使たちがイエスに仕えていた。(マルコ1:12~13)

40日間荒れ野にとどまり、誘惑を受けておられた主イエス。そこには野獣もいました。そして、天使たちがイエスに仕えていた、と聖書は伝えています。不思議な書き方です。天使たちが仕えていたのなら、40日も断食などせず、天使が食べ物を運んでくれれば良かったのに。
不思議と言えば、もう一つ不思議なことがあります。今日は12節からですが、11節を見ると、洗礼を受けたイエスさまに天から神さまの声が響きました。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と言います。そして、12節はこう続きます。「それからすぐに、霊はイエスを荒れ野へ追いやった。」この「霊」というのは聖霊、つまり神様ご自身の霊です。主イエスは神さまが「あなたは私の愛する子」と言われた言葉を聞いて、それからすぐに同じ神さまご自身の霊に追いやられて荒れ野へ行きました。どうして、神さまはご自分の愛する子を荒れ野へ追いやるのでしょうか。
主イエスが荒れ野で40日間も過ごしたことも、そもそも神さまによって荒れ野へ追いやられたことも、それが神の愛する子としての救い主の振る舞いだったということだと思います。そうでなければ私たちが救われないから。なぜなら、私たちが生きるこの世界がまさに荒れ野の様相を呈しているからです。
神さまは、荒れ野に生きるキリストのために天使を遣わします。旧約聖書でもすでに「見よ、わたしはわたしの使いを遣わす。彼は、わたしの前に道を備える」と言われています。私たちも、キリストに仕えて、この荒れ野の世界で生きています。キリストが救い主としての御業をなし、その御業にこの世界の人々を与らせるために、私たちの手を天使の手として欲しておられます。
今日、私たちがなすこと、語る言葉、それらはキリストに清められて、キリストに仕える天使のわざとして用いられます。キリストのための天使として、私たちは今日も遣わされます。

2024年5月4日の聖句

あなたがたは豊かに食べて満ち足り、あなたがたの神、主の名をほめたたえる。(ヨエル2:26) イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで祝福し、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆にお分けになった。人々は皆、食べて満腹した。(マルコ6:41~42) 「我らの日用...