2022年10月26日水曜日

2022年10月26日の聖句

神よ、立ち上がり、地を裁いてください。あなたはすべての国民をご自分のものとされます。(詩編82:8)
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネ3:17)

「神よ、立ち上がり、地を裁いてください」と祈っています。善が善とされ、悪が悪とされるというのは、とても大切なことです。悪が善になったり、あるいはその逆だったりしては、私たちの社会は秩序を保つことができなくなってしまいます。もしかしたら現代はその点で非常に混乱してしまっていると言わねばならないかも知れません。善と悪との区別がつかなくなっていたり、あるいは人によってあまりにも善と悪との基準が違いすぎて、共通的な価値観が失われてしまっている。そうでなければ信頼関係が損なわれていて、そもそも議論をする共通基盤やプラットフォームがなくなっている。私たちが今体験している社会の混沌は、そういうところから生じているのかも知れません。
「神よ、立ち上がり、地を裁いてください」という祈りは、真実と不真実や善と悪を裁くのは、神さまだという宣言です。真実と虚偽の区別はあるし、善と悪との区別もある。全部が相対的で、曖昧で、人によって変わってしまうのではなく、それを裁く神がおられる。神のお定めになる秩序がある、ということではないでしょうか。
そのときに、もう一つの御言葉がとても大切です。というのは、私たちは得てして善悪の基準を自分自身にしてしまいがちだからです。そうやって結局はそれぞれが小さな神になって、お互いの正義がぶつかって、また混乱に陥ってしまいます。聖書は言います。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。」神の裁きは私たちの考えている裁きではなくて、私たち罪人を救うことだ、と言うのです。これは驚くべき言葉です。神は罪人を救うことによってご自身の正義を貫かれたのです。神さまは悪人を赦すことによって、ご自身の善を全うされたのです。主イエス・キリストを裁き、このお方ひとりに罪の結果をすべて背負わせることによって。
神は私たちを裁いて滅ぼすために御子を遣わされたのではない。私たちを愛し、救うために、主イエス・キリストをお遣わしになりました。ここに神の正義が立てられた。私たちは自分の正義を握りしめて互いを裁き合いますが、神はご自分の正義によって私たちを愛し抜いてくださいました。この神の愛が、損なわれた私たちの世界を救います。神の国は、主イエス・キリストによって私たちのところへ来るのです。

2024年5月6日の聖句

災いの日に、主は私を仮庵に隠し、幕屋の隠れ場にかくまってくださる。(詩編27:5) 主は真実な方です。あなたがたを強め、悪しき者から守ってくださいます。(2テサロニケ3:3) 私たちの神さまは、災いの日に私たちをかくまい、私たちを守ってくださるお方です。どんな災いにも打ち勝ち、ど...