2022年12月12日月曜日

2022年12月12日の聖句

僕(しもべ)の上に御顔を輝かせ、慈しみによって私を救ってください。(詩編31:17)
あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。(エフェソ5:8)

今日の旧約聖書の御言葉には「僕(しもべ)」という言葉があります。もっと直截に訳せば「奴隷」という字です。しかも、ただの奴隷ではなく「あなたの奴隷」という字で書かれています。
おとめマリアのところへ天使が来たとき、マリアは自分を「主のはしため」と言いました。「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」この「はしため」も同じです。「女奴隷」を意味する。新しい聖書協会共同訳では「仕え女」と訳していましたが、はしための方がよりよいと思います。マリアは、自分を主なる神さまの奴隷と呼んだのです。そこにマリアの信仰がある。
マリアは「私は主のはしため」と言います。今日与えられている詩編でも「あなたの僕」と自分を呼びます。他の誰でもなく、主に仕える主の僕であり、主のはしためです。主の僕、主のはしためは主の御顔の光を待ち望みます。この方が慈しみ深く私に光を向け、私を救ってくださると信じているからです。主の御顔の光の中に生かされ、私たちはもはや暗闇の中ではなく、光の中に生きている。
「あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。」聖書は私たちに事実を告げます。「あなたがたは暗闇のようだから、もっと頑張って光になりなさい。光のように輝くように鍛錬しなさい。」聖書はそのようには言いません。「あなたがたは、以前は闇でしたが、今は主にあって光となっています。」私たちは暗闇だった。しかし、それはもはや以前のこと。今は違う。今、あなたたちは主イエス・キリストにあって光になっている。それは主イエス・キリストが御顔の光で私たちを照らしてくださっているからです。私たちはキリストの光に照らされ、今や私たち自身が光になっています。それが聖書の見る私たちの現実です。
私たちは、主の僕として、主イエスさまを見上げます。この方の御顔の光を仰ぎます。私たちにはそれ以外のことはできない。そして、それで十分です。キリストの御顔の輝きが私たちを新しくしてくださいます。私たちを暗闇から光にしてくださったこの光が、私たちばかりでなく、私たちを通してこの世界をも照らしてくださいます。私たちは、光からの光、イエス・キリストを信じます。

2024年5月2日の聖句

(主の言葉)もし、わが民が私に聞き従うならば。(詩編81:14) あなたがたは揺るぐことなく、しっかりと信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。(コロサイ1:23) 主なる神さまは、私たちが主に聞き従うことを願っておられる。聖書はそうはっきりと言い...