2022年12月22日木曜日

2022年12月22日の聖句

神を求める者よ、あなたがたの心を生き返らせよ。(詩編69:33)
マリアはザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶をした。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子が踊った。エリサベトは聖霊に満たされた。(ルカ1:40~41)

「あなたがたの心を生き返らせよ」と御言葉は呼びかけます。今の私にとっては、かなりギクッとする言葉です。生き返らせよと言われているということは、裏を返せば、心が死んでいるということに他なりません。奇しくもたった今、子育てのことで心がざらざらしていました。あなたの心は今死んでいないか、と聖書は言います。心が死ぬというのは、とても辛くて意気消沈してしまうとか、肉体の苦しみのために心も萎えてしまうとか、どうもそういうことではないような気がします。むしろ、心が罪に支配されてしまうこと。そういう現実を、聖書は心が死んでいると見ているのではないでしょうか。
「神を求める者よ、あなたがたの心を生き返らせよ。」生き返らせよ、と言われています。しかしこれは、私たちの心の持ちようを変えるとか、これからは心を入れ替えるとか、そういうことではないと思います。「神を求める者よ」と言われています。神を求めるということと、心を生き返らせると言うこととは深いつながりがあるはずです。
そのことを教えるのが、今日の新約の御言葉です。「マリアはザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶をした。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子が踊った。エリサベトは聖霊に満たされた。」お腹の中に子を宿した二人の女性が会っています。エリサベトのお腹の中の子は、マリアとお腹の中の主イエスが来てくれたことで踊りました。母エリサベト自身、聖霊に満たされました。二人の母と二人の胎児。主イエス・キリストを中心として、ここに喜びの出来事が起こっています。彼女たちの心が生き返ったのです。キリストがそこにいてくださるとき、私たちの心は罪から自由になって躍り出す。生き返る。
「神を求める者よ、あなたがたの心を生き返らせよ。」喜びの主であるキリストが私たちを生き返らせてくださることを受け入れよ、という意味ではないでしょうか。キリストはいつでも私たちの間にいてくださいます。私たちはその恵みにあずかっている。キリストの祝福が今日もあなたにありますように。

2024年5月2日の聖句

(主の言葉)もし、わが民が私に聞き従うならば。(詩編81:14) あなたがたは揺るぐことなく、しっかりと信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません。(コロサイ1:23) 主なる神さまは、私たちが主に聞き従うことを願っておられる。聖書はそうはっきりと言い...