2022年12月31日土曜日

2022年12月31日の聖句

主は言われる:わたしは、わたしの家のために、見張りとして衛所に立つ。(ゼカリヤ9:8)
神が味方なら、誰が私たちに敵対できますか。私たちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないことがあるでしょうか。(ローマ8:31~32)

何と力強く、心強く、はっきりとした断言なのでしょう!「神が味方なら、誰が私たちに敵対できますか!」誰にも、そのようなことはできません。神様ご自身が私たちのための見張り番になってくださって、衛所に立って目を凝らし、私たちを守っていてくださいます。私たちを害することができるものは何もない。神さまの御前にあって、私たちのたましいを損なうことができるものは何一つない。それが聖書が私たちに告知する福音であり、聖書の断言するところです。
100年くらい前に生きたスイス人の牧師、また進学者にカール・バルトという人がいます。年の暮れにこの人が献げた祈りが残されています。一部分ですが、ご紹介します。
「私たちの年が来て、また過ぎ去っていきます。そして私たち自身も生き、また死んでいきます。しかし、あなたは今も、またこれからも永遠におられます。あなたの支配とあなたの真実、あなたの義とあなたの憐れみには、始めも終わりもありません。」
私たちの一年には始まりがあり、終わりがある。私たちの命にも始まりがあり、終わりがある。しかし、神さまには始まりも終わりもありません。神さまの支配にも、真実にも、義にも、憐れみにも、始まりも終わりもない。永遠だからです。神さまも、その御心も永遠です。神さまはご自身の永遠にかけて私たちの味方でいてくださり、私たちのために衛所に立っていてくださいます。
だから、神はキリストを与えてくださいました。「私たちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものを私たちに賜らないことがあるでしょうか。」神の永遠の愛の中、私たちの一年が終わろうとしています。
この一年は、あなたにとってどのような年だったでしょうか。それがどのようなものであろうとも、神さまが味方でいてくださる事実は決して変わりません。神さまの圧倒的な、永遠の愛は絶対に変わりません。このお方の御子に現れた神の愛がどのようなときにも私たちに迫っています。

2024年4月29日の聖句

主は正しい。私は主の口に逆らった。(哀歌1:18) ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言った。兄は「いやです」と答えたが、後で考え直して出かけた。(マタイ21:28~29) 今日の新約の御言葉は、主イエスの譬え話です。二人...