2023年1月1日日曜日

2023年1月1日の聖句

2023年の聖句「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です。」(創世記16:13)
1月の聖句「神は、お造りになったすべてを見られた。見よ、それはとても良かった。」(創世記1:31)
今週の聖句「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。(ヘブライ13:8)」

1月1日の聖句
私の魂は、生きておられる神を求めて渇いています。いつ行って、神のみ顔を仰げるのでしょう。(詩編42:3)
だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。(マタイ7:8)

主イエス・キリストは言われます。求めなさい!探しなさい!門を叩きなさい!主イエスは私たちが神に求めて祈り、神を探し、神の御前に門を叩くようにと命じておられます。祈ること、それは主イエスから私たちへのご命令です。喜ばしい命令です。ありがたい命令です。なぜなら、神さまは必ず求める者に応え、探す者にご自身をあらわし、門を叩く者に開いてくださる方だからです。神は私たちの祈りを聞いてくださる方です。
「私の魂は、生きておられる神を求めて渇いています。」私たちの渇く魂を、神さまが放置なさることはありません。神さまはキリストを遣わし、私たちが渇き、這いつくばるその傍らにまで降りてきてくださいました。まさに神は「エル・ロイ(私を顧みられる神)」です。祈ることは、私が一所懸命に神の顔を探し求めることではありません。なんとか神さまに気づいて頂いて、どうにか願いを伝えることではありません。私が神を求めるよりも先に神が私を求めていてくださり、私が神を探すよりも先に神が私を捜しに来てくださっていて、私が門を叩くよりも先に神が開いてくださっていることに気づくことです。私たちを顧みてくださる方は、もう既に私たちをご自分の御顔の光で照らしていてくださいます。私たちはその光に照らされている。
「いつ行って、神のみ顔を仰げるのでしょうか」と詩編作者は訴えました。今です。今、まさに、主イエス・キリストが来てくださっています。私たちに神の御顔をお見せになるために。

2024年4月29日の聖句

主は正しい。私は主の口に逆らった。(哀歌1:18) ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言った。兄は「いやです」と答えたが、後で考え直して出かけた。(マタイ21:28~29) 今日の新約の御言葉は、主イエスの譬え話です。二人...