2022年12月9日金曜日

2022年12月9日の聖句

まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。それなのに、私たちは思った。神に罰せられ、打たれ、苦しめられたのだと。(イザヤ53:4)
あなたがたが、気力を失い、弱り果ててしまわないように、罪人たちの多くの反抗を忍ばれた方のことを、よく考えなさい。(ヘブライ12:3)

神さまを信じるとは、神さまの愛を信じるということです。神さまが私たちを愛してくださっていると信じるということです。ですから、神さまが存在するとか、何らかの至高の存在があるとか、死後の世界があるとか、そういうことを信じるということではありません。この世界を造った方、私にいのちを与えた方、その方が私を愛してくださっている。それが神さまを信じるということです。
神さまは、「愛という概念」ではありません。愛という何かすばらしいものを言い表すための記号でもない。神さまは実際に、この私を愛してくださっている。そのために、主イエス・キリストというご自分の独り子を私たちの元へとお遣わしくださった。「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みを担った。」神の愛そのものでいらっしゃるキリストは、私たちの病を負ってくださる方です。私たちの痛みを担ってくださる方です。私たちに代わって苦しみ、私たちに代わって罰せられた方。私たちの受けるべきのを引き受けてくださった。それが、キリストに現された神の愛です。
神は、私たちを愛してくださっています。私たちのために身代わりとして、ご自身の御子を与えてくださるほどに。他のどこにも、神の愛のように確かな愛はありません。
「あなたがたが、気力を失い、弱り果ててしまわないように、罪人たちの多くの反抗を忍ばれた方のことを、よく考えなさい。」キリストが私の罪の反抗をご自分に引き受けてくださった。その事実が、私たちの気力が弱り果て、疲れ果ててしまうときの力です。私たちは、私たちのために生き、そして死んでくださったキリストによって、弱く力果てたときに慰めを頂き、もう一度立つことができるのです。
今日も、主イエス・キリストによる慰めと平安があなたにありますように。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...