2023年3月26日日曜日

2023年3月26日の聖句

今週の聖句:
人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、多くの人の身代金として命を献げるために来た。(マタイ20:28)

今日の聖句:
(神殿奉献の際のソロモンの言葉)神は果たして地上に住まわれるでしょうか。(列王記上8:27)
いまだかつて、神を見た者はいない。父の懐にいる独り子である神、この方が神を示されたのである。(ヨハネ1:18)

今日の旧約聖書のソロモンの言葉は、よく教会堂を建て、これを神様に献げるときに読まれる言葉です。「神は果たして地上に住まわれるでしょうか。」これに「天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです」と続きます。
神様がこの天と地とそこにあるすべてのものをお造りになった。ですから、私たちが生きている地上であろうと、果てしなく続く天であろうと、造り主である方を収めることなどできるはずがない。まして自分が造ったこの神殿などに神を入れてしまうことなんてできるわけもない。そのように言います。
ところが、驚くべきことが起こった、と使徒ヨハネは言います。「いまだかつて、神を見た者はいない。父の懐にいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」私たちの生きる地にも、果てしなく広がる天にも収めることのできない神様。私たちがこの目に捉えることのできない方。そんな神様を、しかし私たちにはっきりと示してくださった方がいる。父なる神様の懐にいる方、独り子なる神、この方が限りなく偉大な神様を私たちに余すところなく示してくださったのだ、と言うのです。
どうやって示してくださったのか。今週の聖句は「人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、多くの人の身代金として命を献げるために来た」と書かれています。この御言葉に従えば、主イエスは私たちに仕えることによって父なる神を示してくださった、と言います。キリストは私たちに仕え、ご自分の命をも与えることによって神を示してくださった。独り子をさえ与える究極の愛であるご自分の御心を私たちに見せてくださった。私たちは果てしない愛の方として、父なる神を知ることが許されている。御言葉はそのように語るのです。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...