2023年4月23日日曜日

2023年4月23日の聖句

今週の聖句:
(キリストの言葉)私は良い羊飼いである。私の羊は私の声を聞き分ける。私は彼らを知っており、彼らは私についてくる。そして私は彼らに永遠の命を与える。(ヨハネ10:11a,27~28a)

今日の聖句:
誰かが、密かに身を隠すことができても、私に彼が見えないとでも思うのか、と主は言われる。天と地を埋め尽くしているのは私ではないのか。(エレミヤ23:24)
どの被造物もこの方の前に隠れることはありません。すべては裸であり、私たちが申し開きをしなければならない方の目にはさらけ出されています。(ヘブライ4:13)

今日の御言葉を読むと、創世記に書かれている最初の人間たちのことを思い起こします。アダムとエバ。彼らは神に食べるなと命じられていた木の実を取って食べてしまいました。すると何が起こったのか。「その日、風の吹く頃、彼らは、神である主が園の中を歩き回る音を聞いた。そこで人とその妻は、神である主の顔を避け、園の木の間に身を隠した。」彼らは神が来られることを知って、隠れたのです。
それだけは終わりませんでした。アダムとエバの息子カインとアベル。カインは地の実りを、アベルは羊の初子を、それぞれ神へのささげ物として持って来ました。ところが神様はアベルのささげ物には目を留められましたが、カインのささげ物には目を留められませんでした。それで、カインは怒って顔を伏せます。そんなカインに向かって、神様は、「どうして顔を伏せるのか」とおっしゃいます。結局カインは怒りに任せてアベルを殺しました。きっと、顔を伏せたまま殺したのでしょう。
カインが顔を伏せたことも、アダムとエバが神から隠れたことも、よく似ていると思います。神様のみ顔を避けようとした。後ろめたかったり、怒りのためであったり。動機はそれぞれですが、やはり共通して、神を避けようとしたのです。神との関係を壊したときにも、きょうだいとの関係を壊したときにも、人は神を避け、隠れ、顔を伏せました。
しかしこの天地をお造りになった方から逃れることのできる場所などありません。それは恐ろしいことのようですが、実は私たちにとっては大いなる救いの事実です。例えどこに行こうとも、神はそこにおられる。しかもこのお方は、慈しみ深いキリストとして私たちのところに来てくださったのです。私たちの羊飼い、私たちに永遠の命をくださる方が、私たちを探しに来てくださっています。私たちとの関係を結び直すために。今こそ顔を上げて、キリストの呼びかけて応えましょう。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...