2023年8月7日月曜日

2023年8月7日の聖句

ヨセフはこうして、監獄にいた。しかし、主がヨセフと共におられた。(創世記39:20,21)
真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。(使徒16:25)

ヨセフは生まれ故郷から遠く離れたエジプトの地で、ある人の家に仕えていました。ところがその女主人がヨセフを誘惑し、これを拒んだヨセフを陥れ、彼は牢に入れられることになってしまいました。そもそもエジプトにいること自体、ヨセフの兄たちの妬みに端を発するものです。ですからヨセフは兄の妬みのためにエジプトにいて、女主人のわがままのために牢に入れられていた。全く身に覚えのない理由で、理不尽な目に遭っていました。しかし、そんなときにも主はヨセフと共にいてくださいました。牢の中でも神は共にいてくださる。
神様は私たちの良いときや幸せなとき、嬉しいとき、手放しに人からうらやましく思われるようなときにだけ私たちと共におられるのではない。むしろ、理不尽な目に遭い、悪くもないことで後ろ指を指されるようなとき、そこにいてくださるのです。
パウロとシラスも牢の中にいます。フィリピの町に初めて行ったときのことです。悪霊に取りつかれて占いをしていた女を自由にしてあげた。すると彼女を利用して金儲けをしていた連中がパウロたちを高官のところに連れて行って、鞭で打って牢獄に入れてしまったのです。パウロとシラスもやはり理不尽な目に遭って投獄の難に遭っていました。恨み辛みも出て来ようというそのとき、彼らは牢獄の中で神を賛美して歌っていた、というのです。驚くべきことです。他の囚人たちは二人の歌声に聞き入っていました。主が彼らと共にいてくださったのです。
主なる神様は、今日、私たちと共にいてくださいます。どのようなときにも、必ず、神は私たちと共にいてくださる。それは確実なことです。私はあなたと共にいると、神は繰り返し約束してくださっているからです。私たちの目に映るところがどんなにそれと矛盾しているように見えたとしても、疑いの心が芽生えたとしても、神の約束を信じる信仰に、今日生きていきましょう!

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...