2024年5月3日金曜日

2024年5月3日の聖句

耳の聞こえない人を呪ってはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。(レビ19:14)
(イエスの言葉)あなたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。(ルカ6:36)

悪意を持ってわざと耳の聞こえない人を呪ったり、目の見えない人の前につまずく物を置いたりする人は、少ないと思います。私たちはおいそれとそのようなことはしない。しかし、実際上同じようなことは起こっているのではないでしょうか。点字ブロックの上に自転車が放置されていたり、ろう者の存在が忘れられたり。私たちは面だって敵意をむき出しにして耳の聞こえない人を呪うことや目の見えない人に障害物を置いたりはしなくても、無関心のために、無意識のうちに、実際上同じ事をしているということがある。そしてそれは無意識であるからこそ、自分がそのような振る舞いをしているという自覚すらないのです。
愛の反対は憎しみではなく、無関心だと言った人があるそうです。そうだとすると、自分の他者、しかも不便を抱えている他者への無関心は、恐るべき愛の欠落です。
主イエスはおっしゃいます。「あなたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。」天の父の慈しみは、私たちへの絶大な関心と、私たちを決して放っておくことのない行動力になって現されました。主イエス・キリストという一人の人として私たちのところにまで来てくださった。神の前に、まるで耳が聞こえないかのように御言葉に聞かず、まるで目が見えないかのように御姿に目を向けようとしない私たちのために、キリストがここまで来て御言葉を語りかけ、そのお姿を示してくださいました。十字架の上におられるお方として。私たちの信仰の耳と目を開くために、キリストはここまで来てくださったのです。この慈しみが私たちの道を新しくするのです。

2024年5月17日の聖句

あなたは寄留者を抑圧してはならない。あなたがたは寄留者の気持ちが分かるはずだ。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。(出エジプト記23:9) 正しい人たちが王に尋ねた。「主よ、いつ、見知らぬ方にお宿をお貸ししたでしょうか。」王は答えた。「よく言っておく。この最も小さな...