2015年1月18日日曜日

マタイによる福音書9:35-10:15「天の国の福音を携えて」

「イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありたあらゆる病気や患いをいやされた。」主イエス・キリストにとって、病気や患いの苦しみはどうでもいい事ではありません。この様子を見て「深く憐れまれた」ともあります。「憐れむ」とは、自分自身の内臓までも痛む感情です。高みから見下ろしているのではないのです。主は病み、患う苦しみに喘ぐ人に御国の福音を宣べ伝え、彼らをいやされました。彼らにとって決して絵空事ではない福音の言葉を伝えてくださったのです。第108節を見ると、主イエスはご自分のなさったことを弟子たち(教会)に引き継がせて、「病人をいやし、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい」と言われます。病、死、そして重い皮膚病。この病はただ肉体の苦しみだけではなく、徹底的な隔離と差別の対象になっていました。社会から投げ捨てられる屈辱、孤独、悲しみを嘗めていたのです。そして、この社会には悪霊の働きと言わなければならない深みがある。1節でも、弟子たちを遣わされるときに「汚れた霊に対する権能をお授けに」なりました。現代にも悪霊の働きが見られます。病む人は社会からも自分自身からも見捨てられたような思いを味わいます。その背景には、現代社会の拝金主義とも言える、精神を失った資本至上主義があるように思います。生産性を失った人間の居場所を残さないのです。或いは、今の日本はとても不寛容です。とてもイライラしています。特に隣国に対して。先日のフランスのデモに至った「風刺画」の問題も、根は同じように感じます。異質な他者を理解する努力を放棄してはいないでしょうか。このような時代精神を形づくっているのは一体何者なのか。このようなところに人間の力を超えた力を見るのです。主イエス・キリストは弟子たちを派遣するに当たり、言われました。「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。」天の国、つまり神の御支配が近づいた、もうすぐそこにある。だから、あなたは悪霊に支配されているのではない。あなたを憐れむ神が、弱り果て、打ちひしがれた羊の群れのようになったあなたたちを養い、牧者になってくださる。私たちの周囲には、たくさんの打ちひしがれた人がいます。「打ちひしがれた」というのは、床に投げられたという意味です。必要ないと捨てられたのです。しかし必要ないというのは本当は嘘なのです。例えこの時代の精神が価値無しと断じても、あなたはキリストのもの!私たちはこの福音を宣べ伝えるために、ここから遣わされます。平和を届け、私たちもまた内臓を痛めて、天の国を宣言するのです。

詩編第119編89から96節「神の言葉に果てはなし」

「あなたの律法を楽しみとしていなければ、この苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。」苦しみから私を救ってくださったのは、あなたの律法。そう告白する。苦しいときの神頼みという言葉が批判的に言われることがあるが、もっと深刻なのは「苦しいときの神離れ」だ。苦しみの時にこそ、思いと心...