2018年6月3日日曜日

ルカによる福音書第2章13から17節「あなたの席もここにあります」

私たちの礼拝のプログラムは、招きの言葉から始まります。去年から、前奏の前に招きの言葉として聖書の一節を読むことにしました。神さまが、私たちを礼拝に招いてくださっています。他ならぬ神さまが招いてくださったので、私たちはここにやってきました。教会をギリシア語ではエクレーシアと言います。「呼び出された者たち」という意味の言葉です。私たちは、神さまに呼ばれて一つの教会・エクレーシアになり、一緒に心を合わせて神さまを礼拝しています。聖書に登場するのは、キリストに呼ばれた者たちです。今朝登場しているレビという男もその一人でした。彼は徴税人でした。16節を見ると、「罪人や徴税人」とひとくくりにされています。納税者にとって、税を集める仕事は憎たらしく見えるものであるかもしれません。しかし、それだけではない。当時のユダヤはローマ帝国に支配されていましたので、税金はローマに吸い取られていました。敵国の犬のように見なされていたのかも知れない。それにローマは当時徴税の権利を属国の市民に売ったそうです。一般的に言って、徴税人らはその権利を手に入れて徴税人になると、帝国の威を借りて不正な取り立てをした。レビもそうだったのかも知れません。そう考えていくと、レビがイエスさまから「わたしに従いなさい」と言われたときにすぐに立ち上がってイエスに従ったわけが分かってくるような気がします。きっと、町の人から嫌われていただろうし、友達がいなかったのだろうし、仕事に疲れていたんじゃないか…。しかし、聖書は、そういうレビの気持ちとか、どうしてイエスに従ったのかとか、そういうことを何も説明しようとしません。ただ、イエスが、収税所に座っていたレビをご覧になって、言われたのです。「わたしに従いなさい」と。それで、レビは立ち上がってイエスに従いました。他ならぬイエスが呼んでくださったから。レビはただそれだけの理由でイエスに従いました。それが最も大切なことなのです。私たちにも、自分とイエスさまとの出会いの物語があります。イエスが呼んでくださった、わたしの物語があります。キリストと出会って、信じて従うに至る、劇的な体験をした人もいるかもしれません。何もそういう者がなくて、立派な話を聞いてさみしくなった人もいるかもしれません。あるいは、どうして教会にいる人たちは神さまを信じられるのか、と不思議に思っている人もいるかもしれません。私たちにはいろいろな物語がある。でも、本当に大切なことは一つです。イエス・キリストが、わたしを呼んでくださったから。教会は、キリストに呼ばれた者たちの集まりです。レビは、イエスに呼んで頂いたらすぐに徴税人や罪人と呼ばれている仲間たちと、イエスを家に招待して食事をしました。イエスに呼ばれた者たちの食卓です。教会の原型です。ドイツの家庭では、こんな祈りの言葉が伝えられているそうです。「主イエスよ、来てください。私たちのお客になってください。そして、あなたが与えてくださったものをここで祝福してくださいますように。アーメン。」すてきな祈りです。私たちも祈りたい祈りの言葉です。わたしを呼んでくださったイエスが、この食卓に一緒についてくださいますように。そうやって、私たちは一つになります。この食卓には、あなたの席もあります。私たちは抱えているものはそれぞれですが、キリストが呼んでくださいました。だから、今朝、ここにいるのです。

詩編第119編89から96節「神の言葉に果てはなし」

「あなたの律法を楽しみとしていなければ、この苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。」苦しみから私を救ってくださったのは、あなたの律法。そう告白する。苦しいときの神頼みという言葉が批判的に言われることがあるが、もっと深刻なのは「苦しいときの神離れ」だ。苦しみの時にこそ、思いと心...