2019年3月17日日曜日

2019年3月17日(民数記22〜23)

今日の通読箇所:マルコによる福音書1:21~45、民数記22~23、詩編89

民数記22~23;
モアブ人のバラクはイスラエルの人々が神に守られている様子を見て恐れ、不安になりました。興味深いことに、今日はイスラエルの人々の物語ではない。異邦の王バラクと、彼に雇われた異教の預言者バラムの物語です。
バラムの言葉を聞くと、とても信仰深い人のように感じます。バラク王から呼び出されたとき、預言者バラムは答えます。「あなたがたの国にお帰りください。私があなたがたと一緒に行くことを、主は許されないからです(22:13)」。それでも無理に連れて行かれて、イスラエルの人々が見える高台に行き、そこから彼らを呪うように強要されます。しかし彼は主なる神様から示されたことだけを語りますと答え、結果的にイスラエルを呪うどころか祝福してしまいました。「主が私の口に授けられたことだけを、私は告げるべきではないでしょうか(23:12)」。バラク王は怒りますが、バラムはその筋を曲げませんでした。
ここを読むと、バラムは権力に屈しない、信仰深い預言者であるようです。しかし、最初に見たとおり、彼は異教の預言者です。もともと、主なる神様に仕えてきた人物ではなかったのです。イスラエルを呪おうとしていた。ところが、主なる神様の力に負けたのです。それは彼が神様を信じていたからではなく、イスラエルを守る神の祝福の意志が圧倒的に強かったからです。
今朝の箇所にはイスラエルは登場しません。脇役でしかない。主になって動いているのはバラクであり、バラムでした。彼らはイスラエルを呪おうとしましたが、ことごとく失敗しました。私たちも、私たちの知らないところから災いが降りかかってくることもあるでしょう。誰かの悪意にさらされることもあるのです。実際に、被害を受けることだってあります。しかし、私たちが知らないところで、神の祝福の意志は固く、強いのです。たとえ私たちに予期せぬ事、好ましからざる事があろうとも、神様のその祝福のご意志が確かなことを、私たちは信じましょう。それは、キリストに表された神様の確かさなのです。

2024年5月17日の聖句

あなたは寄留者を抑圧してはならない。あなたがたは寄留者の気持ちが分かるはずだ。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。(出エジプト記23:9) 正しい人たちが王に尋ねた。「主よ、いつ、見知らぬ方にお宿をお貸ししたでしょうか。」王は答えた。「よく言っておく。この最も小さな...