今日の通読箇所:マルコによる福音書4:21~41、民数記31~32、詩編95
民数記31~32;
イスラエルの人々は、ヨルダン川の東岸に住んでいたミデヤン人と戦い、勝利を収め、その地を奪いました。それは「家畜を飼うのに適した場所であった(32:1)」ため、ルベン族とガド族に人々は、ヨルダン川の西岸ではなく、この場所を自分たちの相続地にしてほしいと願い出ます。しかし、モーセは当初この願いは間違っていると思っていました。かつて、彼らの親世代は、カナン偵察隊がその地にいる人々はあまりに強大だと言ったのに怖じ気づき、約束の地に行くことを放棄しました。神様は大変そのことに怒り、結局彼らは40年荒れ野をさまよう羽目になった。その罪を繰り返そうとしている、とモーセは考えたのです。
しかし、ルベン族とガド族の願いは、そういう事ではなかったようです。これからカナンに入ったら、自分たちは先頭に立って戦うと言います。また、「私たちは、イスラエルの人々がそれぞれの相続地を受け継ぐまで、決して私たちの家には戻りません(32:18)」という決意を表明します。それで、モーセも彼らの願いを認めたのでした。
約束の地での土地の分配は、このように、それぞれの事情を勘案しながら現実的に決められたようです。しかし、そこでこの戦いから退却することはありませんでした。私たちは、どうなのでしょうか。私たちも人生の持ち場は多様ですし、神様は多様な場での責任を私たちに託してくださっています。だから、私たちは主の戦いに怖じ気づいて退却することはありません。私たちの戦いは血肉を相手にするものではない。剣や槍、拳銃を持つような戦いではない。霊の戦いです。信仰の戦いです。この世で、キリスト者として生きること、これこそ私たちの戦いです。この世界でキリストに従うという戦いです。私たちはこの戦いを自分自身のためではなく、隣人のために戦います。ガドやルベンの人々がそうであったように。私たちが今日生きる信仰の戦いは、主のための戦い、この世界で神の国を宣言してくださっている主イエスの戦いなのです。
2024年4月26日の聖句
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