2019年9月8日日曜日

2019年9月8日(イザヤ書19〜20)

今日の通読箇所:フィリピの信徒への手紙2、イザヤ書19~20

イザヤ書19~20;
「その日には、イスラエルは、エジプトからアッシリアまで大路が敷かれ、アッシリア人はエジプトに行き、エジプト人はアッシリアに行き、エジプト人はアッシリア人と共に主に仕える。
その日には、イスラエルは、エジプトとアッシリアに続き、地上のただ中において祝福される第三のものとなる。万軍の主は祝福して言われる。『祝福あれ、私の民エジプト、私の手の業アッシリア、私のものである民イスラエルに』と(19:23~25)」。
エジプトもアッシリアも、イスラエルにとっては敵です。自分たちを抑圧し、ついには滅ぼしてしまう恐るべき敵です。しかし、神様にとっては、彼らもご自分の手による一つの民に過ぎません。だから、エジプトもアッシリアも、やがては主に仕える、と言われます。そのための大路を主が敷かれる。一から十まで神様が主導権を握ってそのようになさるのだ、と宣言されています。
注目すべきは、そのような主の日、救いの日に起きることは、「イスラエルは・・・地上のただ中において祝福される第三のものとなる」というところです。エジプトとアッシリアの次に祝福を頂くことになる。敵だと思っていた存在が自分よりも先に神の祝福を頂くというのは、心穏やかには聞けません。それは、私たちと神様との、圧倒的なスケールの差なのかもしれません。神様からご覧になったら、すべてはご自分がお造りになったものなのですから。「祝福あれ、私の民エジプト、私の手の業アッシリア、私のものである民イスラエルに(25節)」。
私たちの想像を超えて遙かに大きく、広がっていく神の祝福が、今日、あなたの上にありますように。

2025年7月14日の聖句

(ソロモンの言葉)見よ、天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです。(列王記上8:27) まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。(ヨハネ4:23) ソロモンが建てた神殿は一体どのような建物だったのでしょ...