2020年1月1日水曜日

2020年1月1日(マタイによる福音書3)

マタイによる福音書3;
「これは私の愛する子、私の心に適う者」。これは、主イエスが洗礼をお受けになったときに天から聞こえた声です。父なる神様が、主イエスを指しておっしゃった言葉、父なる神様による主イエスの紹介の言葉です。
主イエスは、神の御心に適う方。どういう意味で神の御心に適うのか。洗礼を受けることによってです。神様は、主イエスが洗礼者ヨハネの手から洗礼をお受けになることをよしとされたのです。
ヨハネが授けていた洗礼は、どういうものだったのでしょうか。ヨハネはヨルダン川で洗礼を授けていました。そこに来た人々に、彼は言います。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。それなら、悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」ヨハネは、「悔い改めよ」と迫ります。我々はアブラハムの子だというのは、神様に選ばれたもの、約束の民、その特権に与っているということです。どうしてそれで神の怒りを免れることができるのか、悔い改め、そしてそれにふさわしい実りを生活の中に結ばせよ、とヨハネは言います。そして、その悔い改めのしるしが、洗礼でした。
主イエスがお受けになった洗礼は、悔い改めのしるしです。毒蛇の子が、神の怒りを前にして受けるべき洗礼です。そんな洗礼を、罪を犯したことのない方、神の子でいらっしゃる方がお受けになりました。だから、主イエスが洗礼を受けさせてほしいと言ったとき、ヨハネはそれを思いとどまらせようとします。「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私のところに来られたのですか」と言って。
主イエス・キリストは、滅ぼされるべき罪人が受ける洗礼をお受けになりました。毒蛇の子の悔い改めのしるしである洗礼をお受けになりました。主イエスは、一度も罪を犯したことがありません。しかし、その罪を犯したことのない方が誰よりも深く悔い改められたのです。ですから、主の洗礼、それは聖書の秘儀です。「彼は暴虐をなさず、口には偽りがなかったのに、その墓は悪人どもと共にされ、富める者と共に葬られた。主は彼を打ち砕くことを望まれ、病にかからせた」(イザヤ書53:9~10)。誰よりも深く悔い改めた方が、私たちの受けるべき裁きを、すべて受けてくださいました。
私たちの新しい一年は、キリストの洗礼によって始まりました。何という恵み、何という喜びでしょう。

2024年4月19日の聖句

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