2020年5月10日日曜日

2020年5月10日(ルカによる福音書12:1〜34)

ルカによる福音書12:1~34
「だから、何を食べようか、何を飲もうかとあくせくするな。また、思い悩むな。それはみな、世の異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられる。」
私たちの毎日は、殆どが何を食べようか、何を着ようかということに尽きます。そのための苦労に殆どの時間を費やしています。仕事だって、何よりも先ず食っていくためにするものです。そんな私たちにとって、この主イエスのお言葉は、いかなる意味を持つのでしょう。
主イエスと同じような時代、私たちよりもずっと近い場所に、ギリシアという国がありました。そこでは哲学が発展した。ギリシア哲学は基本的には食うための労苦から解放された人々が培っていました。ギリシアには身分制度があり、自由人と奴隷に別れていました。食うための苦労はすべて奴隷が行い、自由人は文化的な営みを行っていた。哲学は労働から解放された自由人のすることでした。ところが、主イエスの言葉を聞いていた者たちは、ギリシアの哲人たちとは違います。貧しい者たちです。病人たちです。寡婦や孤児、罪人と言って差別され、排除された者たちに向かって、主イエスは御言葉を語られました。この世の苦しんでいるものを前にして、主イエスは彼らに連帯しながら言われるのです。「あなたがたの父はこれらのものがあなたがたに必要なことをご存じである」と。神がすべてを備えてくださる、だから、神の国を求めよと主イエスは言われます。
主イエスご自身、極楽から蜘蛛の糸か何かを垂らしながら、このように言われたのではありません。この方は神の子でありながら一人の人間となり、私たちの肉体の弱さも煩わしさも引き受けて、空腹を味わいながら、神の国を求めて生きたのです。
今私たちが味わっている状況は、肉体の煩わしさがもたらす苦しみです。まさに、主イエスが私たちと一緒に味わっていてくださるのは、この痛みです。イエスは病を知っていてくださる。そうであるからこそ、この弱い肉体を持つ者が神の国を求めて生きる幸いを誰よりもよくご存じなのも、主イエスご自身です。私たちは神の国を求めて生きるとき、私たちの存在を超えた価値を知ります。空を飛ぶ烏を養い、野に咲く一輪の花を咲かせてくださる神の慈しみに気づきます。私たちの肉体は弱い。食べなければ死んでしまいます。しかし、弱い私を愛して、必要なものを今日も与えて下くださっている方がおられる。私たちはこの方の慈しみのゆえに、今日も生かされています。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...