2020年6月20日土曜日

2020年6月20日(使徒言行録13:31〜51)

使徒言行録13:31~51
ピシディア州アンティオキアに渡ったパウロとバルナバは、安息日に会堂に入ります。そこで聖書が読まれたとき、会堂長に「兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください(15節)」と請われ、主イエス・キリストの話をしました。そして、その説教の最後に言います。「だから、兄弟たち、この方による罪の赦しが告げ知らされたことを知っていただきたい。そして、モーセの律法では義とされなかったあらゆることから解放され、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。」人々はこの説教に喜んで耳を傾け、信仰に入っていきました。
「パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神を崇める改宗者とが付いて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。」安息日ごとにキリストの言葉に聞き、神の恵みの下に生きていく。アンティオキア教会の人たちが生き始めた信仰生活を、私たちも受け継ぎ、継続しています。この教会にはユダヤ人も異邦人もいました。何人であろうと、どういう文化的背景で生きていようと、すべての人がキリストの恵みに招かれています。私たちの生き方の立派さや素晴らしさによってではなく、ただ神の恵みによって、私たちも神さまの御許へ招かれています。
しかし、ある人たちは、パウロとバルナバの下に大勢の人がやってくるのに嫉妬して彼らを口汚く罵り、パウロに反対しました。それどころか町の貴婦人や有力者を唆してパウロたちを追い出させます。迫害のために彼らはアンティオキアから出て行かざるをえませんでした。その時、二人は象徴的な仕草をします。「二人は彼らに対して足の埃を払い落とし、イコニオンに行った。」これは、かつて主イエスがおっしゃったことです。主イエスは弟子たちを宣教旅行に派遣するときに言われたのです。「あなたがたを受け入れない者がいれば、その町を出て行くとき、彼らに対する抗議のしるしに足の埃を払い落としなさい。」抗議のしるしというのは、証拠としてという意味です。ここに宣教に来て、福音を確かに告げた証しとして、そっと足の埃を落として次の町へ行く。自分たちを迫害する者へのしるしとしては、ささやかです。気持ちとしては砂を掴んで投げつけてやりたくなるかも知れません。主イエスは、ただそっと埃を落とすことだけをお許しになりました。聞いたのに受け入れなかった者の責任を問いつつ、しかしそれを相手と神さまとの事柄として主にお任せする。そういう姿勢なのだと思います。パウロとバルナバは、その言葉にここで従ったのでした。
このようにして、福音の言葉が小アジアで宣べ伝えられていきます。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...