2020年6月4日木曜日

2020年6月4日(使徒言行録3)

使徒言行録3
ペトロとヨハネが神殿の境内で出会った人は、足が不自由で、いつもそこに座らされて施しを乞うていました。ペトロとヨハネが通りかかったときにも、彼らに施しを乞います。ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見つめて、言いました。「私たちを見なさい。」彼は何かをもらえると思って期待します。すると、ペトロは彼に言いました。「私には銀や金はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」そして、彼の右手をとって立たせると彼は立ち上がり、躍り上がりました。
この素晴らしい出来事は、私たちキリスト教会に神さまが託してくださった宝は一体何なのかを伝えています。私たちに神さまが預けてくださったのは、銀や金ではありません。そうである以上、教会は金持ちになることはできないでしょう。人間的に考えると少し残念かも知れません。しかし、それでいいのです。もっと素晴らしい宝を、私たちは持っているのですから。
主イエス・キリストの御名による福音。これこそ、私たちに神さまが預けてくださった素晴らしい宝、何ものでも替えることのできない尊いものです。
この男が立ち上がり、ペトロとヨハネの後についてきたことから騒動が起こります。そこですぐにペトロは驚く民衆に向かって福音を語り出します。ペトロが語った言葉の内容は、要するに、主イエス・キリストのことです。キリストに私たちがどう関わったのか、そして、神さまはどうなさったのか。そのことを語ります。「あなたがたはこのイエスを引き渡し、ピラトが釈放しようと決めていたのに、その面前でこの方を拒みました。聖なる正しい方を拒んで、人殺しの男を赦すように要求したのです。」私たちは、主イエスを殺した。十字架につけた。正しい方、神が遣わしてくださる方を拒んだ。しかしそれは、無知のためであったとペトロは言います。メシアの苦しみは、預言者たちの口を通して予告されていたとおりであり、それが実現されたのだ、と言います。つまり、神がメシアを苦しみに引き渡した。そして、ペトロは彼らに言いました。「だから、自分の罪が拭い去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」神は、アブラハムと結んだ契約にあなたたちを加えている、だから、神の祝福のうちにいる。ペトロはそのように言います。「それで、神はご自分の僕(イエス)を復活させ、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、この方があなたがたを祝福して、一人一人を悪から離れさせるためでした。」神さまは、私たちを招いてくださっている。
これが、イエス・キリストの名による福音です。どんなに高価な銀や金でも買うことのできない永遠の価値を持つ宝です。この宝が、私たちのものなのです。

2024年4月27日の聖句

「私には罪がない」とか、「主の怒りは私から去った」とあなたは言う。「私は罪を犯していない」と言ったために、今、私はあなたに裁きをもたらす。(エレミヤ2:35) イエスよ、あなたが御国へ行かれるときには、私を思い出してください。(ルカ23:42) 十字架にかけられた一人の罪人が主イ...