2020年12月4日金曜日

2020年12月4日(ヨハネの黙示録4)

ヨハネの黙示録4
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
全能者である神、主。
かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
「私たちの主、また神よ
あなたこそ栄光を誉れと力を受けるにふさわしい方。
あなたは万物を造られ
万物はあなたの御心によって存在し
 また造られたからです。」

ヨハネの黙示録というと、何かおどろおどろしい世の終わりの様相を暗号めいた言葉で書いているというようなイメージがあるかもしれません。暗号めいたというのは、例えば旧約聖書のダニエル書もよく似ていますが、黙示文学と呼ばれる表現方法、あるいはジャンルの一つの特徴です。イメージ豊かな言葉に象徴的な意味がふんだんに盛り込まれているので、よく注意して読み解く必要があります。もう一つの、おどろおどろしい世の終わりの様相という方ですが、半分は合っている、ということであるかもしれません。確かに第6章以降を読むと、大変な苦難が語られている。しかしそれは、ヨハネたちが現に味わっている苦難という側面が強いと思います。黙示録の言葉におどろおどろしいイメージがついて回るのは、前述の通りに黙示文学のスタイルからくるところが多いと思います。つまり、あまり表面的なイメージに振り回されずに、ヨハネの黙示録の主要なメッセージを聞き取り、そこを中心に読む方がよいと思います。
そして、そのヨハネの黙示録のメッセージの一つの中心が、今日の箇所であると思います。ここにはヨハネが垣間見た天での礼拝のようすが描かれています。天の玉座を囲む24人の長老は自分の冠を脱いで、玉座に座っている方にひれ伏します。また四つの生き物が玉座にいます方を賛美する歌をうたいます。栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方、聖なる方、神。このお方を礼拝し、このお方にひざまずいてあがめ、自分の冠や栄誉を献げる。それがヨハネの黙示録の通奏低音です。これから黙示録を読むときに、この礼拝のようすを忘れてはならないのだと思います。
そして、私たちの毎日の営みでも、まったく同じことが言えます。私たちの毎日の営みは風が強い海の表面のようなもので、高い波が立っているかもしれません。しかし深層の水は、大きな流れをたたえており、実は海面の波が海の動きの決定権を持っているのではない。目には見えないもっと大きく確かな流れがあります。私たちは、天上で今日も献げられている神礼拝という深く、確かな流れの中で、今日の日の営みを重ねているのです。

2024年4月20日の聖句

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