2021年1月11日月曜日

2021年1月11日(詩編15)

詩編15
主よ、誰があなたの幕屋にとどまり
聖なる山に宿ることができるのでしょうか。
それは、全き道を歩み、義を行い
心の中で真実を語る者。
舌で人を傷つけず
友に災いをもたらさず
隣人をそしることもない。(2~3)

おかしな打ち明け話をするようですが、実は今日のこのメッセージを書くのは、二度目です。一度書いたものを消してしまいました。あまりにも暗かったのです。この詩編に書かれているような全き道を歩み、義を行うような生き方から自分がいかに遠いかを考えていたら、とても暗い話になってしまいました。それで、一度消してしまいました。
考えてみれば、自分が神さまから遠く離れている現実は、今に始まったことではありません。それなのに、驚くべきことを神さまはしてくださいました。この詩編では「主よ、誰があなたの幕屋にとどまり、聖なる山に宿ることができるのでしょうか」と言っています。神さまの幕屋、聖なる山。それは祈りの場所であり、礼拝の場所のことであろうと思います。そこにとどまることができるのは、全き道を歩み、義を行う人でしょう、と言っています。確かにその通りであろうと思います。そういう人こそ、ふさわしい。
ところが、主イエス・キリストは言われます。「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:21)。神の幕屋、聖なる山どころではありません。神の国です。神の国が、私たちの間にあると主イエスは宣言しています。キリストは、神の国を、それにはふさわしくないとしか考えられない私たちの間に来たらせてくださいました。
神の国の民とされて、私たちは言うことができます。「これを行う人はとこしえに揺らぐことがない」(5)。神の国に生かして頂いて、私たちも、神さまに喜んで頂ける者になることができる。神さまが私たちを新しくしてくださいます。その基盤は、揺らぐことがありません。神さまがあなたを選んで、ご自分の民としてくださったのですから。今、あなたが祈っているその場所が神の国であり、神の幕屋、聖なる山なのです。

2026年2月20日の聖句

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